本部長通信205  2008年6月7日

何故極真空手を習うのか(3)


極真空手を学ぶ目的(2)
 極真空手を習うということは、すべての道場生が持っている能力と情熱を投入しなければならないのです。なぜなら、極真空手を学ぶということは、そうとう指導者から能力と技術と情熱を加えられます。それゆえ、道場生はすべての能力と情熱を出さざるをえません。
指導者からあらゆる技術と情熱が道場生に加わると、苦し紛れの悲鳴を上げるようになります。その指導者についていくのが精いっぱいだからです。たえず稽古で限界を感じるようになるのです。指導者はどこまであらゆる技術と情熱を道場生に加えるかというならば、道場生の個性が完全に発揮し納得できるまで加えるのです。そして、指導者が認めるようになると、初めて道場生に理想が生まれ、満足感が漂うのです。
 指導者が道場生に稽古をつけるということは、指導者が精根尽きはててしまうほど消耗するということです。道場生は一段階一段階と期間を通じて成長していくのです。それは、指導者が技術力と情熱を投入する期間であります。指導者がエネルギーを投入して、一人前になると初めて指導者にエネルギーが戻ってくるのです。師弟関係が生まれるのです。
いわゆる指導者にとって報われた喜びが生まれてくるのです。戻ってくるには、より以上の力で持ってお互い向き合わなければ戻ってこないのです。指導者が投入したすべての能力が戻ってくる道を開拓するのです。ですから一生懸命なのです。
 道場生が極真空手を学び、しっかりした主体的個性を確立させるには、あらゆる能力の投入、あるいは犠牲が伴うのです。これが極真空手の稽古の本質なのです。そのことが原点になって極真空手を学んでいくことになるのです。

師範稽古 国見教室 中江選手会 移動蹴り40分