本部長通信203  2008年6月5日

何故極真空手を習うのか(1)


はじめに
いかなる武道でも習うからには、修養が必要なのです。習う過程において、日常の稽古が絶対要件になるのです。「何故極真空手を習うのか?」これを問題にし、今回のテーマなのです。身体を健康にしたいということは、前提ですので、特に今回取り上げません。極真空手を学ぶ人は、宝石の原石みたいなものです。海のものとも山のものともまだわからない状態なのです。ところが、道場生は、稽古を通して、原石から研磨が始まるのです。
指導者の姿は、武道の境地と渾然一体の立場にたちます。いわゆる、ある意味で空手道の理想としての存在になるわけです。ところが、習い立ての道場生は、空手道の理想に向かっているのだけれど、その内容は、習っている期間の段階にあって、空手道の理想を完成しているとは到底認めることはできないのです。
つまり、武道としての入口にはいるのだけれど、武道の理想に沿うような内容の価値とみることはできないのです。
そういうような道場生が、空手道の理想の目的に向かっていくとするならば、稽古が必要になってくるわけなのです。稽古は、結局空手道を通して、道場生の自己創造の道なのです。
 
師範稽古 突き40分