2020年3月25日(八段語録3714)
私の名のゆえの普遍性


個人的な話が続いていますが、「誰にでも名前を持った人には言える」と思うので表現しているのです。私の場合、気が違ったと思われるぐらい、人生のほとんどの時間を極真空手に費やしてきました。今もそうであり、これからも極真空手は、継続しようとしているのです。というのも、私の目指した極真空手には力があったのです。それだけに魅了されてしまった人生なのです。修行中の私には、人生で困難や試練は数多くありました。それでも結果的に、極真空手で越えることができたのです。さらに、極真空手を取り巻くマスメデアの後押しも勇気づけられたのです。決定的なことは、池袋の総本部に通っていたときは、大山総裁から四年間、励まされたという事です。それだけに、全日本大会で活躍することもできたのでした。
さて、極真の稽古はフルコンタクトの武道ですから、全身に生傷で痛みを抱えた修行として、日々を過ごしたのです。人から見たならば、バカげたことのようであったのでしょう。私にとっては、希望だけしかなかったのです。希望が消え失せてしまうようであればあるほど、義の道を追及したという事でもありました。つまり、自分の名前を追及したという結果になったのです。極真の道を疑わないで信じたという事でした。この道を行くならば、約束されたものを獲得することができるという信念に満ち溢れていたのです。
ところで、両親がつけてくれた名前を見るたびに「義」とみなされているという確信を持ったのです。振り返れば極真で修行を重ねて五十年です。同じ人生を歩めるかというならば、振り返るだけでも難しいと思えるのです。それでも、大山総裁に起こったことは、私にも起こるという自信があったのだと思うのです。師を超えることはできなくても、近づけることができるという信念であったのです。結果、義を成就するための人生であり、義の承認が人生の終わりの時になされるという事でもあると思うのです。
結果的に、私の義道という名前は、銀行に預金していないのにもかかわらず、勝手に振り込まれていた貯金のようなものです。実際に親からの仕送りが二十年に及んだのも、愛情を注がれ続けてきたという事です。そして極真を信頼して、極真との約束を全うし、希望が絶望に変化しようが、それにめげることなく、疑わないで人生を歩み続けることができたという事が、今の私を築き上げているのです。まさに、私の主軸として貫いた武道としての極真空手が、多くの恵沢を与えてくれたのです。それだけに、熱中して生命を捧げて生きることができたという事なのです。