2020年3月24日(八段語録3713)
名前に恥じない生き方をする


 誰もが、自分の名前に誇りを持っていると思います。このブログでは、著者である私の名前を取り上げて書いています。誰も、人の名前を評価する事はできないからです。私は、創始者大山総裁からの流れで、手塚会長、そして私へと極真の道を繋げさせていただきました。それで、創始者大山総裁のようであるかというならば、否という以外にないのです。総裁の弟子であっても、内容まで似ているかというならば、一目瞭然に切り捨てられてしまうだけです。それでは、大山総裁に従順に指導を受けたかというならば、東京に住んでいた四年の間指導を受けただけなのです。もし、総本部で最初から指導を受けて、師範として認可を受けたならば、誇りも最高潮に達していたのですが、師範の認可は手塚会長からだったのです。別にそれで、価値が下がったとは思いませんが、願わくは大山総裁からの認可を受けていたならば良かったと、何度か思ったこともあります。
それでも、極真の道を信じて五十年、今でも継続しているのですから信念を貫いていることになります。今は、手塚会長と共に開拓して、世界中にブランチチーフが散らばっているのです。有難いことです。星を数えるように道場生が世界中で稽古をしているのです。それは、私の名前の如く、義の道である歩みであったと確信もするのです。私は、もう年齢も高く、人生の第四コーナーを走行しているようで、この立場は、不可能な事だったのかもしれません。それでも実現させてくださったという事で、まさに奇跡であり、天の導きを感じてしまうのです。極真を信頼して継続してきた結果という事です。私の器がそんなにも大きくないにもかかわらず、また敬虔なものでもないのに、このグループを指導するという事になっているのですから、働いていないで給与を貰っているという事だと思うのです。
ところで、一番の要因は、何の働きもないのに、極真空手を継続してきたという事での給料という事かもしれないのです。それは「恩恵」の何物でもないという事にもなります。まだ、極真の道が整備されていない、草創期の時代から歩んできたという恩恵なのでしょう。何もかも完全な指導者というよりは、例えて言うならば、一方的に通帳に給与が振り込まれたのです。その振り込まれた給与は、今後働かなければならないと自覚しているのです。私が、会長になったタイミングは、実に恵まれていました。手塚夫人が全面的に協力して下さるという事を宣言して下さったのです。また、それだけに分裂もせず手塚グループとして前進していく事が出来ているのです。それも、手塚会長の証印の全てを継承することが出来たという事で、内外共に公認される段階にすぐに立てたのです。外面的手続きが、内面を変化させてくださったのです。
結論として、手塚会長の信念を継承する立場に立てたのです。名前の如く「義」に見合った証印を頂いたのです。もちろん、手塚会長の威光だけでは、これから続けていく事はできないのは承知しているのです。会長として三年も過ぎた事で、長期計画を練りながら進めていきたいと思うのでした。