2020年3月14日(八段語録3707)
極真手塚グループ会長の導き
明日で私の会長就任三周年を迎えます。振り返ることもなく、手塚会長が亡くなったのが一月でした。それから、常に三年間、天上の手塚会長と会話をしながら、歩んできたのです。当時、一年のスケジュールの全てを準備して、私が世界を巡回し、その指示に従うようにメールで世界に送ったばかりでした。日本語で伊藤国際部長に送り、英訳をして全世界へ発信した時に、病院で息を引き取ったのです。それから、葬儀委員長として役割を果たし、手塚会長の職務の全てを継承して、現会長として出発したのが、その年の三月十五日だったのでした。
この三年を振り返るのですが、私自身独り言が多くなっていることに気づくのです。その独り言をすべて聞いてから、あらゆるアドバイスをしてくれているのが手塚会長のようでした。大山総裁から支部認可を戴いて、どのように運営していったかという事を語って下さるのです。そして、分からないところは、手塚夫人が語ってくれるという啓示のような導きでした。三年間を振り返って、天上から一緒にこのグループに携わったという実感がするのです。要するに、常に一このグループに手塚会長が責任を持って下さっているということなのです。という事は、二人三脚をもって、このグループを任せて、舵取りをさせるための任命であったと思えるのです。
ところで、最初の私の任命を受けた状態というならば、悲しみ、驚き、失望なのです。自分を取り戻すという事だけが、目の前にある自分の心理状態であったのです。スタッフと論じ合い、稽古を共にする中で、思い込みの激しい自分があって、道を見失っていたようにも思うのです。それでも、誰かにこのグループを、どのようにしなければならないかという方向に話が持っていかれるような気がしたのです。思い出されることが、かつて手塚会長が家族としてのグループの形成というところでした。一番手塚会長に近かったのは間違いなく手塚夫人であったので、夫人と多くの会話をして、手塚会長の理想を再度確認していったのでした。
去年の三月に、無事に世界大会を勝利的に終えたのでした。盤石な基盤を作っていく事が出来るという確信に変わったのです。それは、最近の事です。そんな栄光を見ていた時に、このコロナウイルスの現象が起きたのでした。この試練は大きいのですが、もうすでに、このグループを引っ張っていく為の教育を、すべて受けたような気がしているので、不安はないのです。課題が生じたときには、天上の手塚会長と話し合えば良いという発想も確立しているのです。確かに手塚会長は地上を去ったけれども、果たすべきことは、これから「森」とやっていくというメッセージを受けているように思うのです。もちろん、天上から働きかける手塚会長を見ているのは私であるという信念が起こっているのです。