2020年3月5日(八段語録3704)
指導者は極真手塚グループの為の栄光に尽力を尽くす
コロナウイルスの対策で、多くの試練を与えられているという現実を、目の当たりにします。当初は、極真フェステバルのイベントを中止すれば、十分と考えて日々の稽古はできるようするという指示を出していました。ところが、政府の方針を何度も確認して、小中高の全休に踏み切った経緯や、社会の動きなどを鑑みての結論としての稽古の中止を、昨日発表しました。それまでは、日々の稽古をするという事は、学校にも通わないという事もあって、御父兄に喜ばれるのではないかと考えたわけです。しかしながら、御父兄にも賛否両論があって、現場の判断と私の英断を持って、万が一という事に備えて、全教室三月いっぱい休止としたのでした。
さて、休止したからと言って敗北という事ではなく、最善の選択をしたという事で、勝利を手繰り寄せるという意気込みを持っているのです。それは、故手塚会長から指導を受けた、極真精神の原点に返ってという事なのです。この判断は最高の判断であると確信しているのです。現実に対応し最大の適用を含んでいると思っているのです。それは、道場生を思う指導者として最高の判断なのです。この時期であるからこそ、極真の栄光を表すという事であると思ったのです。このような試練を越えるためには、自分をピアノの調律のように、心身を正常にしての正しい判断が、必要であると思ったのです。この決断が、極真の栄光を表すために、私が着手しえた、最大の姿勢であると思っているのです。
ところで、私自身、会長であるがゆえに、誰からも指導を受ける立場に立っていないのです。それだけに、発想の原点は、極真の栄光を輝かせるには、どのような対応をするかという事になるのです。極真空手の精神に忠実に歩んできた、私にとっての結論という事になったのです。休止の時はまだ来ていないと延期をしていたならば、時を逃してしまうという事での判断でした。そのために、私自身の判断を鈍らすことなく、取り組むという事になりました。それが私の決断であり、このことが、栄光の輝きに預かる要因であると思えたのです。そこには、天は必ず道場を再開させ復活するという確信からなのです。
そのような事で、結論を出したという事でした。私が極真の栄光を表すためにという事を、念じての決断という事です。道場を閉鎖するかどうかの最終判断は、私に与えられているという事なのです。いつまでも、国家の緊急事態に対応する責任者としての判断は、いずれ正しいと歴史が証明してくれるという事を念じているのです。極真精神と私は同質であるならば、幸いと考えているのです。どのような状態で道場を運営するかという事に対する最大の回答であると思っているわけです。極真空手の最高の栄光を求めて輝こうとする私の決意でもあるのです。世間に迷惑をかけてはならないわけです。決して極真手塚グループだけの繁栄を願うのではなく、自分の心と行いが全体に良き刺激になるという事を、願いながらの一日でした。