2020年2月26日(八段語録3699)
失敗は成功の源


 手塚グループにおける権威は、師範から信任されるというところから出発します。いくらチャンピオンになっても、師範が信頼しなければ無為に帰してしまうのです。当然、選手として才能を発揮しても、指導者としては認められないのです。どの道場でも師範が道場生に対して、その道場生に指導者としての権威を与えるのであります。もちろん、道場生が極真空手の技術を身に着けずに、指導者になるかというならば、それは無理というものです。多くの道場生の前で、師範が指導する内容を再現し、道場生に教える忠実な指導者という事になるのです。師範の内容を再現するためには、道場での稽古が必要なのです。要するに、師範の教えを継承するのが道場生の使命であるのです。その稽古は失敗の連続であり、思うようにいかないものです。また、指導者を育てても去っていく人も多かったのも経験の中に刻まれているのです。
さて、指導する者は、派遣した師範と同じ権威を持つのです。その場合、派遣された者は、師範の意図に忠実に行動するという事が前提になるのです。それで、指導者の成長はというならば、すでにできたことを実践して初めて、認められるのであり、更に新しい境地を開拓するのです。表面的に師範の指示に従ってカモフラージュしても、メッキははがれるのです。ただ稽古をして強くなるという事で指導者になるという事は間違っているのです。それ故に、表面的に基本げいこが出来ても、何の意味も果たさないのです。師範から指導を受けるという事は、未熟な道場生へのグットニュースなのです。稽古は何度もやり直しがきくという事を意味しているのです。
ところで、今までの道場運営から道場生が師範に挑戦するという事が起こるのです。忠実に指導を受けるというよりは、自分の能力を誇示して、道場生を扇動するという行為をする人も出てくるのです。特に選手で優勝すると、師範からの権威ではなく、大会で優勝したという権威が顕著に表れてくるのです。要するに師範の権威に対する挑戦が始まるのです。また、反逆しようとする者が、道場生の不満を盾にして挑戦するのです。私の場合、議論するという事よりは、認めて出て行ったもらう事に終始したのです。内部にがん細胞を内包するよりは、排出するという事を選択したのでした。愛情が足らなく、失敗したという思いはありますが、それも勉強と思って、貫いてきました。
結果的に、反逆する道場生を抱えることなく、私の器でついてくる道場生と共に、この道を開拓してきました。結果的に多くの敗北を経験したのですが、その事を肥料として成長してきたように思うのでした。反逆するものに指導権を渡すことなく、全てを失う覚悟で、がん細胞を取り除くという外科手術をしたことにもなるのです。別にこの道に反逆したからと言って、恨みを抱くという事でもないのです。お互い空手道を伝えるものとして認めるという事にも終始するのです。まだまだ人生は続きそうです。しっかりと失敗を恐れず貫く人生を送っていきたいものだと思うのでした。