2020年2月25日(八段語録3698)
人生の栄誉


 手塚グループのコミュニティーが長年に渡って築き上げられてきました。コミュニティーが形成されたという事で、その団体が健全であるかどうかが問われるのです。素晴らしい家族を形成する心掛ける団体ですが、その中心に立つべき人物が間違いを犯してないという事が、大前提になるのです。このグループを形式的に形成されたことで、安心はできないのです。常に道場を神聖なものにする事は、大前提になるのです。それだけに、一粒の麦として、繁殖するならば、正しいという印は指導者にとって必要なのです。私自身の人生が正しいという事に終始する理由はここにあるのです。それだけに、保護司として更生保護に携わった事は、身を守り清めるといううえでも有難い事でした。
さて、私自身正しく歩んだつもりですが、手塚会長も私も信頼されてこの道を歩んできたかというならば、どちらかと言えば、不信され裏切られることが多かったのです。まして、弟子に裏切られるという経験は、手塚会長も私も嫌というほど多く味わってきたのでした。それも、指導者として最高の内容を常に提示したのにもかかわらずという事が多かったのです。裏切りは結局理屈に合わないことで埋め尽くすのです。裏切る人の心の頑なさが大きな原因で、盲目になるようです。当然、信じるという人もいたのですが、人間関係の駆け引きで、その人から追放されないためにという事もあったのでした。要するに、引っ張る者の評価を気にしたという事になったのでした。
ところで、このグループは家族を大切にするというところに原点があるのです。稽古も良き家族を作るための手段であるという事なのです。このグループに籍を置くという事は、すなわち家族を大切にするという事に通じるのです。それだけに、家族を主張する指導者を無視するという事はできないのです。また、このグループには輝きがあるのです。世に輝くだけの力があるのです。家族思想は闇を解放するような力があるのです。
結論として、手塚グループは家族思想をベースに極真空手の素晴らしさを訴え続ける団体なのです。空手が素晴らしいという事を、家族が素晴らしいという事に置き換え、稽古を継続していくのです。このグループに在籍して、多くの奇跡を目の当たりにしてきました。そして、多くの道場生が集って人生を高め合ってきたのです。そのようなグループですから、足手まといとする家族を抱擁する事を度外視する人には、このグループの良さは目に隠されているのだと思うのです。このグループを目で見ず、心で理解せず、回心せずにいるわけです。それでは、このグループには付いて来ることができないというのも理解できるのです。
良い人生を送るのも、このグループの家族を大切にするという事からくるという事を確信するのは私ばかりでしょうか。このグループで最高の栄誉を受けることが出来る道を切り開きたいものです。