2020年2月23日(八段語録3696)
人生に勝つ為の努力


今を大切にするという事が、勝利への入城になるのです。この道を歩むという決意をして、五十年の歳月が流れてしまいました。この間、戦い続けてきたという事になるのです。振り返れば、日本中を隈なく歩き、世界を巡回しきたのでした。肉体的にも精神的にも限界という日々を過ごしたこともあるのです。今の立場への準備は、すでに青春時代に描いてきたという事でもあります。それで、導かれるままに一生懸命が極真空手の出会いをもたらし、手塚会長を支えて、今に至っているという事ですから、後悔はないのです。
そこで、順風満帆であったか問うならば、実際はそうではないのです。常に模索しながら、示された道標をひたすら歩もうとした結果だけでした。
周りの期待は、確かに大きいものがありましたが、日々の訓練は血と汗を流し続けるという道になっていたのです。それでも試合に向けて自らを叱咤激励し続けてきたのです。それで、有名な選手になったかというならば、中堅クラスの名もなき選手として現役を終えたのでした。
それが、勝利の入城であるかというならば、まだまだ程遠い道のりであることは言うまでもないのです。しかしながら、天は二物を与えることなく、選手として歩んだ現役生活を終了して、その経験を土台に後輩を指導するという事に携わったのです。指導能力という事に関しては、磨きがかかってきたのでした。
捨てる神があれば、拾う神もあるという事でしょうか。指導者としての力量を発揮するという事に、自分の才能を見出すという光明を得たのです。自分の能力の開眼は、選手ではなく、指導者として後輩に対するという能力に特化してきたのでした。結果的にどうであったかというならば、後輩に歓迎されたのでした。多くの道場生から敬意を受けるようになったのです。
こうして人生を振り返ると、多くの奇跡を目撃するものです。選手として有名になる夢は崩れ落ちてしまったのですが、多くの道場生を育てるという偉業に取り組んだことになったのです。誉め言葉でしょうが、父兄が「お陰で子供が正しく成長できました。」と感謝してくれるのです。確かに私は、選手としては、中堅という事で、チャンピオンを目指すという事に関しては失敗したのです。それでも、私の賜った能力は、人を生かすという事の能力という事であったわけです。
確かに、指導者として未熟な事もあり、多くの指摘を受けるのです。それでも栄養にして指導者の何たるかを模索しているのです。人生も終盤に差し掛かっているだけに、指導者として叫び続けるのが天命であると意識するのです。私が叫ばなければ、石が叫ぶという事だと心得るようになっているのです。