2020年2月22日(八段語録3695)
道場での訓練
間違いなく、稽古を継続すると普通の肉体が強固な肉体に変身していきます。
それ以上に精神面も忍耐強く逞しくなっていくのです。
そこで、道場生が持つべき姿勢は、感謝する心を常に示すという事であります。
このような心が無ければ、高慢になり日々の稽古に支障が出てくるのです。というのも、稽古を懇願するような姿勢で、続けていく道場生が、更に素晴らしくなっていっている状態を見るのです。感謝もせずに満足してしまうとなると、修行は途切れてしまうという事です。
指導員は、不真面目な道場生よりは、一生懸命に稽古する道場生に心を奪われるものです。確かに平等に指導するのですが、懇願して稽古をする道場生には指導者は、特別な意識を持つのも人情というものです。それだけに継続して一生懸命稽古をする道場生は報われるという事です。
また、稽古をするにあたって、純粋な少年のような心を持たなければならないという事です。そうすると、自分の成長段階に捕らわれることなく、高い目標に向かって進んでいくという事になるのです。大人ぶって、この段階で満足すると、あとは急降下して、今まで修練してきた内容までも失ってしまうという事になりかねないのです。そこで、少し考えて欲しい事は、道場で稽古をするという事は、道場生一人一人が道を究めていくという特権を持っているという事に他ならないということです。この特権を持っているものには、より多くの恵沢が与えられるというものです。
ところで、黒帯に推挙される段階に入ると、指導者に相応しい人物と認知され、多くの道場生の前に立っても恥ずかしくないのです。これは、褒章であり誰にも恥ずかしくない存在になるのです。このような特権は、修行の継続にあり、人知れず稽古を続けていくところにあるのです。
道場生の稽古における心身の練磨にあって、それに応じて報いを受けるという事になるのです。そのような恩恵は、稽古を継続してこそ表れていくというものです。
それだけに、例えて言うならば、日々の稽古で、どのような建物を建てるかという事になるのです。「草・わら」で建物を建てるならば、洪水や火災がある時には、全て失ってしまうのです。日々の稽古を、金、銀、宝石で建物を建てるならば、洪水や火災で失う事のない建物になるという事です。かえって、試練が、金、銀、宝石ならば、精練され、純化されていくのです。
私自身、道場生の先頭に立って、道を究めていく闘いをしていくという決意なのです。
日々に満足することなく、道場生の成長を下支えしていくという決意を胸に秘めながら、今日も稽古に臨んでいきたいと思うのです。