2020年1月20日(八段語録3690)
極真空手の栄光を知らない二世達への指導


過去の極真の素晴らしさを知らない二世道場生が、稽古をしている現実があります。極真の伝統から、後退して稽古をしているように見えるのは私ばかりではないのです。
ちょっと厳しい稽古をすると、道場から遠のいてしまうという事も起きています。
だからと言って、優しい稽古をしようとは思わないのです。そして、伝統空手の道場と変わりのないよう稽古を望むという事にもなってしまいます。しかし、極真の道場では、昔からの伝統を守って、更に現実への対応をしようとするのです。
振り返ることも無く、極真空手から派生したフルコンタクト空手が、一世風靡をしているのです。それは頼もしい事ですが、極真は老舗として伝統を守るという事も忘れてはいけないと思っているのです。当然、極真空手よりも素晴らしい流派があっても当然のことであり、より高いレベルの空手を目指すという事も、頼もしい事です。またそうでなければならないと思うのです。同じルールで大会を開くことができるのですから、切磋琢磨しながらお互いの道場が、成長していく事が願われるというものです。老舗である極真は、新たなる伝統を確立するような歩みをするという事が大切という事です。決して名前に胡坐をかいてはいけないのです。
ところで、極真はフルコンタクトの空手では長子という事でしょう。それだけに、焼き尽くす火のように情熱を燃やして、武道教育に取り組むべきであると思うのです。
風や炎を引き起こすだけの必死な道場運営も必要になります。そうでなければ、極真の権威や威信は奪われてしまうのです。また笑われます。私の姿勢は、義の道をしっかり守って歩むという事です。私の名前がそうなっているという理由もあります。そして、不正を許さない姿勢も大切になっていると思っています。極真道場として不正がはびこるようでは、消滅した方が良いのです。すべての衣類は古びると使い物にならなくなります。確かに古びた着物は処分されますが、衣類のように古びて取り替えられようとも、私達自身変わることなく、極真の道を歩むという事は大切な事です。
結論として、偽ることのない極真の指導を重ねながら、より正しい極真の伝統を示していきたいものです。道場生の間に立つ指導者は、心して自己を磨きながら、日々成長して二世道場生に接するようにお願いします。目的を達成するためには、懇切丁寧に新しい道場生に伝統を吹き込んでもらいたいと思うのです。身体全体が関節と筋によって、養われ、結び合わされて、稽古によって、成長するようになっているのです。社会に貢献する道場生を多く輩出する道場でありたいと思うのです。それが、極真手塚グループの行くべき道であるという事を心して、二世道場生を育てて欲しいものです。あくまでも、主役であるという意識を強めて指導に当たって下さい。