2020年1月4日(八段語録3686)
指導者は極真空手に対して厳格でなければならない


 極真の指導者は、一つの芯を通さなければならないのです。ある意味で厳格でなければならないのです。日々、指導に関してムラを少なくするように心がけなければならないのです。明るかったり暗かったり、あるいは核心に触れたり触れなかったりでは、道場生の成長がおぼつかない事になります。指導者は道場生に、普遍的理念を伝えるという意識を持つべきです。空手の基本を指導し、強くなる道を示し、心を豊かに社会貢献への道標を、しっかり示さなければならないという事になります。
さて、手塚会長がよく言っていた事を思い出すのですが、空手は手段であって、目的では無いというのです。要するに、極真空手は、人生の計画を成就するための、仕組みであり訓練の方法という事です。それだけに、本質であり、そこから広がりを持つという事を意味するのです。要するに、逆に言うならば、極真空手に対する指示は、重要な部分から始まって、外側に広がっていくという事です。この極真空手は、修行の入り口であり、重要な部分であり、この修行を通して、大きく人生を羽ばたいていくという事なのです。そのような意味では、極真空手は、道場生の人生の大切な部分が隠されているといっても過言でないのです。
ところで、私は灯台の光と同じなのです。それだけに、材料と形状は最高のモノでなければならないというのが原則です。真っ暗な中を照らすために設置されているからなのです。これしか光が無いというレベルまで引き上げていかなければならないのが、私の役割なのです。灯台が取り去られてはいけないという緊張感を持って、日々生活するという事になるのです。決して光を放つことを止めてはいけないという信条なのです。もちろん、このブログがその光の一部であることは間違いないのです。
結論として、灯台となるために、帯はこのグループの最高の九段を授かっているのです。理由は灯台の光であり続ける為であるのです。非常に高度な技術と芸術的センスは必要とされるのであり、日々自己鍛錬を怠らないようにするのです。そして、道場生の為に非常に美しい姿を示し続けていかなければならないのです。それだけに、道場生を正しく導くという事でなければならないのです。また指導者は栄光の光を受けて、輝きながら道場生を指導するという事になるのです。
その為に、道場があるのであり、たとえ借りているとしても、その時間は神聖なる光を放つ栄光の場になるのです。そのような環境で、絶えず道場生が移動しようとも、この稽古で隠された道場生自身を発見するというものです。先の見えない人生から、希望ある人生に転換してくれるのが、この道場であらなければならないのです。それだけに、全世界に広がる拠点は、燭台の光と同じように輝くという事なのです。夢は大きいのですが、それだけに、極真空手に対して厳格でなければならないのです。