2020年1月2日(八段語録3684)
極真空手で準備するもの
空手の稽古で準備するものは、心から空手の稽古をしたいという精神の高揚です。そして稽古は、進んで道場に通う道場生によって、成り立っているのです。それ故に、稽古内容は、道場生に伝授されていくのです。稽古は、強制されてできるものではないのです。心から稽古をしたいという欲求があって初めて原点に立つのです。稽古は厳しいものですから、道場生同士助け合いのも必要になってくるのです。それでも自発的であるかどうかが問われるのです。
さて、稽古で準備するものは、①空手着、②色帯、③拳サポーター、④足サポーター、⑤帯留め⑥ヘットギア、⑦ミット ⑧バックであります。入門して準備したのち、稽古をするのですが、その服装から極真の精神が入魂されるのです。そして実際に稽古をすると、道場という環境で普段味わう事が出来ない、精神が道場生に漂うのです。道場生は白い空手着を身に着けることによって、普通とは違った気持ちを抱くのです。この白い空手着とは、死に装束という事で、真剣に稽古に取り組むという意思を表すのです。
道場は全く俗世界とは切り離されたところになるのです。それは、極真の精神の高みを目指すという事にもなるのです。
ところで、不思議な事に、私が空手着で五十年の歳月を過ごし、有段者としての黒帯を締めると、五十年の稽古の蓄積が蘇ってくるのです。それだけに、私と同じ道を道場生が行くという事にもなるのです。空手着を着て行う稽古は、白帯からの個人の歴史が始まり、どこまで究めたのかという目に見える印として、人生を振り返ることができるというものです。
結論として、空手着の帯の色を通じて、自分の極真空手を通じての成長を見ることができるのです。帯の栄光がその人の人生を照らすという事になるのです。空手着は方向を見出せない道場生に目標を与え、今の段階を帯で示すという事で、次に何を目指すかという指針になるのです。そのために、道場で汗を流すという犠牲は、とても重要になってくるのです。また、大会を通じて、自分の姿を投影するという事にもなるのです。
この極真の空手着は、私達の誇りであり栄光なのです。日々稽古で積み上げてきた蓄積は、人生そのものになるのです。私自身、極真空手人生を振り返ると、奇跡の連続で、今まで歩んできたという自負心を抱くのです。それもこれも、最初の極真に人生を捧げたという事が、登山口となって、今まで人生を豊かに照らしたくれたのであり、あらゆる誘惑から身を守ってくれたという事でもあるのです。この道での有段者としての帯は、私の誇りであり、栄光の光であったという事は言うまでもありません。