本部長通信196 2008年5月29日
極真精神と我々(10)
師範は、40歳になって、ハタと考えてしまいました。選手としての肉体の限界を感じたのでした。稽古を積み、全日本でも中堅クラスの成績を上げながら、年齢だけ積み上げ、遂に40歳の大台に乗ってしまったのでした。仕事の面でも転換期にありましたので、故郷に戻る決心をし、家業を継ぐことにしたのです。
師範の両親は、まじめに人生を歩んで、その時まで、裸一貫から農地も含め8件の家屋を所有するに至っていたのでした。そこで、師範は、畑を手伝って自然に触れながら、人生もう一度学びなおそうと決心したのでした。仙台高校時代の成績表を手にしながら、東北学院大学の門を叩いたのでした。
40歳で経済学部夜間経済学科の入学を許され、肉体の鍛錬から頭脳の鍛錬へと矛先を変えたのです。家庭内で、両親はびっくり、妻は呆れかえっていました。40の手習いの始まりでした。肉体と精神の地上最強を目指すという決意でした。キャンパスでは、授業は一番前、パソコンを持ち込んでの授業態度に教授もびっくりでした。さらに、大学院での研究ですから妻の呆れた顔は今でも脳裏に残ります。
今まで、社会で学んだことの意義を学問的に位置づける作業が始まりました。いわゆる、体験論からの知的整理学ということになります。面白いように、学問が今まで経験した枠の中に整理され始めました。実に充実した期間でした。
師範稽古 教室休み 移動蹴り回転技40分