2019年12月15日(八段語録3668)
今の意識


 世界大会という大きな事業を終えて、年末に至っています。この大会が、今年の三月でしたから、もうすでに極真手塚グループの次の旅は始まっているのです。
課題は山積していましが、苦い経験も豊かな喜びの経験もあっての日々でした。
今年を振り返るという余裕はないのですが、社会的にも責任を増していると感じるのです。
更生保護では、全国理事長賞を頂き、天皇皇后陛下からの御言葉を頂くという栄誉に預かりました。人生で初めての事だったので、驚きの余韻が今も残っているのです。
確かに、栄光を受けることはできましたが、未だ極真の修行は学校のようなもので訓練です。
昔と違って、オーバーワークになると体が悲鳴を上げるのです。(そうなると)
自分でも恥ずかしいのですが、未だにマイナスの「つぶやき」があるのです。
さて、そんな中でも、手塚会長との約束があり、また二十年に渡って共に世界巡回したものですから、大きいな恩恵も受けるのです。眼中に未だに手塚会長の影は消えないのです。
何を、自分に言い聞かせたいかというならば、「つぶやき」は自分の胸に収めて消化するようにしているのです。「つぶやき」は身近な人に投げかけてしまいます。(妻に)
もちろん、天からの試みは今も続くのですが、計画は着実に押し進めているという事でもあるのです。
それだけに、「つぶやき」よりも「恩恵」を前面に出して計画を実行しようとするのです。
ところで、私の「つぶやき」の内容はというならば、現状に対するやるせなさという事でもあるのです。恩恵が袋に穴が開いていて、いつの間にか無くなっているということなのです。
そして、青春時代の修行がいかに素晴らしかったかという妄想に耽るのです。
今だから、良かったと言えるので、その当時はそれなりに苦しかったに違いないのですが、心の中で美化が始まるのです。(ひとかたの老人になったという事でしょう。)
矛盾だらけの修行時代を美化するのですから、歳月が美しく変化をもたらしてしまうのです。間違いなく現実の当時の自分とは、違った自分として美しく表現するわけです。
このように表現するのは、今に感謝し将来に希望を持とうとするからに他ならないのです。
過去を美化するのではなく、これから起こるかもしれない奇跡を美化するという姿勢を取りたいものです。
そして、現場に命令を下さなければならない私の立場でもあるわけです。
栄光を掴むという事は、現実的な力が必要であると思うのです。
見えざる手によって、私が召され、手塚グループを導き、守っていかなければならないのです。また、このグループの為に戦うのです。そのために必要なものを供給するという努力をするのです。