2019年12月14日(八段語録3667)
世界大会の後、苦い体験と喜び


 今年は、三月に世界大会を勝利させ、更なる極みに上って行く為の旅路が始まったのです。
間違いなく、大会での勝利の美酒に酔いしれることなく、荒野の旅が始まったのです。
荒野の旅とは、紛れもなく私達のグループを訓練させるための、学校というべき道のりです。
要するに、水戸黄門の漫遊記でもないのですが、「楽ありゃ苦もある」という事になります。
手塚グループの道のりが、旅そのものに思えるのは、私と同時に道場生が感じることです。
世界大会に固執して、酔いしれているとするならば、なかなか動こうとはしないものです。
大会終了後全員の意識は、何でもできそうになるので、熱気に溢れていたのでした。
要するに、何でも克服することが可能であるかのような錯覚に陥ったということです。
さて、実際の行程を振り返ってみるならば、その事後処理で吹きさしてくる諸問題が頭をもたげ、苦慮するだけでなく、悶々とした時を過ごしてきたことは確かなのです。
自己主張もあり、批判もあるという事で、全て受け止めて進軍するという事になったのです。
世界大会を行わなかったならば、課題の噴出も、手塚グループの訓練も無かったのです。
その後、世界巡回をしながら、様々な意見の集約をして整理した事は紛れもないのでした。
ところで、その後に起こった事は、喜びの後の落胆でもありました。
落胆と批判のつぶやきが世界中から聞こえてくるのでした。
世界大会で勝利した手塚グループが落胆と批判のつぶやきをするものですから、私が受け止めるだけで精一杯になった記憶があるのです。
それだけに、私自身小さな指導者であるという事の認識をさせられたものです。
さらに、私も一人の道場生という事の意識だけで歩むことを余儀なくされたのです。
それだけに、稽古に励み、極真空手の姿勢を示す以外になかったように思えたのです。
つまり、原点に返って手塚グループを指導するという事だけだったのです。
超自然的な、極真の力がその後現れたという事で、安定した一年を過ごすことができました。
結果的に、試練を越えた時に、安らぐことができる心境になったという事なのです。
これは、グループの責任者が一段階も二段階も指導者として、逞しくなったということです。
そして、新たなる来年の国際交流大会に向かう事が出来たという事です。
このように、荒野を歩むことができるのも、手塚会長との無条件の契約があるからです。
その契約に基づいて、道のりを越えていく事ができるというものです。
それだけに、私の意識としては、手塚会長の契約に従順になることであると思っているのです。
喜びと苦しみは付きものと分かったので、手塚会長の契約に従って前進しようとするのです。