2019年12月13日(八段語録3666)
極真手塚グループの分水嶺


 このグループを栄光の輝きを持って導いている存在(神仏)が、あるようで仕方がないのです。
歴史は総裁を偉人にして、手塚会長を実践者として、さらに現在に至っているのです。
間違いなく、このグループは世界の極真メンバーを指導しているという事なのです。
それだけに道場生は、日常の生活に埋もれることなく、求道者として道を切り開いているのです。今日も緊張感を維持して現場の指導に向かっているのです。
私が最近感じることは、自分の人生が「世に勝っている」という事で、今までの伝統の継承に他ならないのです。私一人でできるのではなく、伝統の継承なのです。
かつて、総裁と共に池袋の総本部で稽古をしてきただけに、身近に感じているのです。
当然、総裁の権威を感じながら育ったという事は言うまでもないのです。
その権威は、私がこのグループを率いていくうえで、有効な誉となっていることは間違いないのです。人生の集大成になってきている今、「よらば大樹の陰」なのでしょう。
さて、大きな組織を目指すというよりは、否で伝統を守り伝えていくという事に特化しているのが私の姿勢であります。
周りの状況がどうなっていて、どのようにしなければならないかという事が主眼となっていないのです。
あくまでも、直線的に先人の遺言を間違えることなく、直線にゴールに向かっているのです。
武道という世界ではありますが、時代の流れと共に同じことを繰り返すという発想は無いのです。要するに歴史の繰り返しとは、微塵だに発想しないということです。
このグループの目標は一つであり、世間の動きと異なって超越しているのです。
ところで、このグループは、ある目的のために突き進んでいるという発想であって、繰り返しではないのです。この事実を胸に突き付けているのです。
先人たちが、間違いなくこのグループに介入していて、それを私達は体験しているのです。
手塚グループとして現在活動しているのが、歴史の最高峰という認識をしているのです。
組織の大小が問題ではなく、内容として静かに浸透しているのです。
結論として、これからもあらゆる戦いが待っていることを前提に、良き分水嶺が現れるという事です。
道場生の稽古における個人的成長は、まさに人生の分水嶺という事になるのです。
組織においても、総裁から手塚会長へ、そして手塚会長から私へと分水嶺はあったのです。
それだけに、未来のゴールに向かって、一心不乱に突入していくという心構えを持っていきたいと思うのでした。