2019年12月11日(八段語録3664)
極真の約束の真実さ


 極真の道を信じて前進すれば驚くべきことが人生において体験するようになったのです。
その体験の日々を、指導者になっても、継続しているのです。さらに、道場を運営するようになってからは、日々あったことを記録し、後世に残すようにしているのです。
稽古に関しては、十代の青春時代から、欠かさずに行っているのです。それは儀式のようなものになっているのです。呼吸をするかのように、稽古が始まるのです。
また、指導者になって記録するという事も、五十歳から毎日のように記述しているのです。
その内容は、毎日極真の道を正しく歩んでいるのかという確認にもなるのです。
記録すれば、必ず残ります。人生において事実になるのです。それが間違いなく個人的な歴史にもなるのです。
指導者として、真実な日々を送ろうとする覚悟でもあるのです。
また、記述の内容からして、昨日からの脱出ということであり、過去からロケットが発射する如く、勢いを増そうとするのです。
ところで、極真は武道であるがゆえに、戦いが前提にあるのです。世の中のどんなものよりも強いという事を証明するようになるのです。観念的な極真ではなく戦いの極真なのです。
災いは、日々起きてきます。それも、極真であろうがなかろうが、東日本大震災はもとより、台風19号であったりするわけです。災いは平等です。それでも対応が違うのです。
また、社会的試練も数知れずあるという事です。それに打ち勝つというのが極真であり、世の中のどこよりも強いという事が、事実であるという内容を体現するのです。
極真の約束の真実さを日々実感しているという事で、充実させようとするのです。
もちろん、世に勝つという事になるのですが、世間が快く思わなければ意味のない事なのです。極真の存在が光となって世を照らすという事が私の願いでもあるのです。
結論として、極真の約束の真実さを学ぼうとするのが、人生であると決めているのです。
それだけに、過去に極真の道を裏切った道場生に対しては、残念ながら、虚像を追いかけて流浪の旅をするようで、指導者として泣けてくるという事でもあるのです。
そして、極真の約束は、私に対して計画を練るように要求してくるのです。
第一に、リーダーとしての自己認識なのです。
第二に、明確な目標なのです。
第三に、それに伴う組織化という事なのです。
極真を信じ前進すれば、驚くべき体験が待っているのです。
先に行けば行くほど、大いなる祝福が約束されているという事は疑わないのです。