2019年12月6日(八段語録3659)
極真は蘇りの人生そのもの


 たかが極真空手を思うでしょうが、結果的に生涯を通じて貫き通してしまいました。
学校で教育を受けて育ったのですが、確かに知的な側面の視野は広がりました。
また、総合的かつ画一的な教育を受け続けてきたという事で世間の常識を学んだのです。
しかし、人生を貫いて継続して大切にした極真空手という存在が私の人生にはあるのです。
さて、貫き通しているのが極真空手であるのですが、肉体を鍛えるスポーツという概念ではないのです。
日々自分を昨日から明日へ鍛える道具になっているのです。
それは、日々の生命の躍動という事に直結するのです。
今日をどのように取り組むかという事に関して、生活の延長にはならないのです。
精一杯、全力で生命を投入するという意識になるのです。
日々の雑事に追われてしまうと、いつの間にか生命力まで奪われているのです。
日本では、人生を憂いて自ら生命を絶ってしまう人が三万人にも及ぶのです。
それだけに、自分自身が生命を支配するという事が、重要になってきているのです。
私の生命の源はというならば、今日も精一杯に生きるという事なのです。
その生命を引き出してくれるのが、間違いなく私の場合、極真空手であるわけなのです。
それだけに、人生を最大限に生かすには、極真空手以外に他にないというのが私の人生観なのです。(これは極端ですが、人生観であり世界観になってしまいました。)
実に偏った考えでありますが、生涯を貫いてきている人生だけに結論を出すのです。
ようするに、昨日という過去と明日をつなぐのが、今日なのです。
両生類のような生き様を目指すわけです。
つまり、カエルの場合、オタマジャクシとして水中で生きて、変身して地上のカエルになるという事です。
過去はオタマジャクシであっても、水の中から這い上がり、田圃を駆けずり回る人生にしたいというわけです。
確かに、昨日よりは今日と視野が拡大しているのです。
人生は色々あるもので、大きくオタマジャクシがカエルに変身するという事も体験してきました。
そのような変身はこれからも続くことであり、絶えず変化して生き続けるのではないかと思うのです。
私は、日々蘇り、死んでも生きるという信念に至るのです。この精神の根底をなすのが、継続してきた極真空手という事です。