2019年12月4日(八段語録3657)
極真の力を稽古で体験する


 私の場合、多動症という側面が強いようです。というのも自分の計画したことと、現実のギャップが大きすぎて、悩んでしまうというタイプで、もがき苦しむのです。
それで、現実が大きくなり過ぎると、自分の弱点も大きく見え始めるという事になるのです。
結果的に、危機的状況になるのですが、それでも極真を継続するという事に留まるのです。
さて、私は極真初期の時代からでしたから、極真の強さは他の流派を徹底的に粉砕する様子が、全日本や世界大会で証明されていたのでした。
そして、いつの間にか五十年近くが経過し、私も六十六歳になっているのです。
選手時代は、私もひとかたの人材ではないかという自信のもとに日々稽古をしていたのです。
そして、今何を学んでいるかというならば、何もない存在であるという事なのです。
無能な人物を立てて、このグループを引っ張っているという事だけなのです。
それでも、今の年齢をどのように見るかというならば、経験や判断力において充実しているという事なのです。
また、もうすでに自分自身を証明する必要がなくなった年齢でもあるのです。
それだけに、新しい次元に引き上がることができるというものです。
確かに、日本の経済力が成長すると同時に、青年の強さへの憧れが鈍化していったのです。
極真においても、閉塞感が漂っているという事はいがめないのです。
今の青年たちは、肉体を鍛えて闘う事を忘れているようにも見えるのです。
それだけに、小さな時から極真の力を体験すべきであるという結論に達するのです。
自分の期待感を極真という武道を通じて表現し努力するという視点に変化させるのです。
極真と契約、信頼、実行、体験という順番が大切になるのです。
体験したからといって、極真に繋がるとは限らないのです。
結構、修行半ばで、他の団体へ移っていった道場生がおりました。
私は、決して止めないし、勝手に極真以外の道へ行っても構わないと思うのです。
惑わされる道場生をとやかく言うつもりはありません。
ただ、本物を吟味する力を養う必要があるという事です。
そのようなわけで、無限に自らの能力を高める力は、極真にあると思っているのです。
極真での稽古がすべてであり、社会貢献への人材が育つと確信しているのです。
道場生の皆さんに言う事は、極真の力を稽古で体験して欲しいという事です。
さあ、今日も気合を入れた出発です。