2019年11月21日(八段語録3651)
自分探しの旅


 極真という鏡に映し出し続けることで、未だ完結しないという結論がでます。
そこで、自分とはどのような人間であるのかという事を発見しようとしているのです。
手塚会長との契約、栄光への道への出発、個人としてどのようにするか、去来します。
過酷な修行がありました。極真にのめり込むことで、多くの友の反対もありました。
そして、今六十六歳という年齢に差し掛かっているという事です。
今日という日に、一体天は何を示そうとしているのかと瞑想してしまいます。
瞑想の中で、極真の指導者として召命されている自分に気づくのです。
修行者としての私が、「燃える柴」を見るかのように、厳粛な気持ちで今の立場に臨んでいるのです。
燃え尽きてしまいそうな理想が、未だ燃え残って手塚会長からバトンタッチされ、今に至るのです。
それに対して、私自身は、人生を出発させる好奇心は失われずにいるのです。
今に至るまで、大いなる極真の光景を見ているのです。
今年には、「世界大会」という映像が脳裏に焼き付いているのです。
実に不思議な光景で、手塚会長の大きなポスターを掲げて戦ったのでした。
この光景は、大山総裁、手塚会長、そして今に至るまで、続く栄光のプロセスであると感じるのです。
この極真ミッションは、実に神聖なものと心得ているのです。
解脱するかのように、稽古は清められた人格を形成していくのです。
それだけに、手塚会長との契約に、影響を受け続けることは間違いないのです。
私自身の年齢も高くなっているのですが、未だ炎の目は輝いているようです。
結論として、人生は色々な歩み方があったのでしょうが、人生の方向転換として極真に舵を取ったのでした。
極真と共に、大いなる夢を描こうとする理想への夢に乗ったのです。
そして、今に至って、最大限に用いられているという確信を抱くのです。
時代は、嵐を吹きまくるように、先が見えないのです。
それでも、この道で生涯を終えようとする覚悟は決まっているのです。
覚悟が決まっているだけに、天は私を用いて何かを成そうとしているのではないかと思うのです。
自然の摂理と、極真の夢がどのように織りなしていくのかという事が、これから楽しみです。
社会状況は、目まぐるしく変化しますが、未来を見据えて、取り組むという事に心掛けたいものです。