2019年11月18日(八段語録3650)
指導者としての準備 樅木になりうるか


 日々、指導者として先陣を切って、準備しますが、私だけではなく次に続く指導者も準備は必要です。大大山総裁、手塚会長、そして森義道と続いてきた内容は、次の時代に残さなければならないのです。
そして、指導者は多くの人に恩恵を与える人物でなければならないのです。
決して、与えることはあれ搾取するという行動は、できないのが極真手塚グループなのです。
確かに、指導者は過酷な苦難の日々を送らなければ、エネルギーが湧き出ないのです。
それ故に、あらゆる能力を身に着けて、指導者に相応しい帝王学を形成すべきなのです。
そうすることによって、手塚グループの計画が動き出すというものです。
もし、指導者が未熟であるとするならば、理想の計画に割り込んでしまう結果になるのです。
指導者は成熟して逞しく道場生に貢献して残らなければならないのです。
オリーブの木は残ったという事でしょう。
そして、多くの道場生に接ぎ木していかなければならないという運命があるのです。
仙台藩で起こった伊達騒動でさえ、「樅木は残った」のです。
このグループの計画は動き始めていて、私が継承しているのです。
それだけに、あらゆる計画は、現実に私を中心に動いているのであります。
けれども、私を中心に動いているだけに、私の未熟さが多くの障害になっているのです。
指導者としての振る舞いは、反省すべきことで山積みになるのです。
確かに、会長という位置についてはいますが、どれだけの道場生の手本になっているかというならば、疑問を投げかけざるを得ないのです。
それでも、未熟な指導者ではありますが、真剣に一生懸命取り組むという事だけは、貫くのです。
それだけに、未だに私の訓練は途方もない程、多くの作業が与えられるという事なのです。
そのような中でも、手塚会長と共にした日々と約束は忘れることは無く、貫くのです。
まさに樅木は私であるという自覚なのです。
多くの道場生を接ぎ木するだけのパワーは、大自然の中や神仏から獲得するだけなのです。
道場で訓練する若枝を、私が接ぎ木するという心で指導者として活動するのです。
この手塚グループの計画は、必ず達成するという自覚で臨むことは言うまでもありません。
今日から、動画の発信をするようにしました。
自ら、先頭を切ってこのグループの牽引車となって戦っていこうと思っています。
それだけに、日々感じていることを、ブログに益々配信していきたいという事です。