2019年11月17日(八段語録3648)
本物(プロ)の極真指導者


私が体験した極真秘伝をどのように次の世代に継承するかを考えるのです。
もちろん、大山総裁、手塚会長から指導を受けたことが土台となります。
それに、諸先輩の姿から影響を受けたことは、紛れもない宝物となっているのです。
その事を土台として、重要なのは私自身が体験したことであることは間違いない事です。
それで、出来事の経緯をどのように表現すべきか、私が探求してきたことをいかに書き記すか考えるのです。
極真の継承という事に関して、大山総裁、手塚会長、森義道と受け継いで、三代目なのです。
御多分に漏れることなく、大山総裁が亡くなって、派閥に別れて、極真も別々の道を歩んで今に至るのです。
それでも、お互いがいがみ合うことなく、お互いの道を極めようとしているのです。
それだけに、極真手塚グループの行く道は、平坦ではないにせよ、継続できるのです。
私自身、初期極真から歩んできましたので、師範になる四十八歳までは、極真の秘伝を体現してきたのであり、帝王学を学ばせて頂いたという事と思ったのでした。
時満ちて、一人指導者として立った時に、培ってきた帝王学であろうという秘伝は、全く役に立たないように思えたのも事実だったのです。
それでも、本物の指導者を目指すという地道な努力が始まったという事でもあったのでした。
だからといって、大山総裁からの願いや指導は、無駄であったという事ではなく、指導に息づいているのです。
苦しい時、つらい時、大山総裁や手塚会長の声が聞こえるのでした。
私には、極真を全人類に連結する役割があるという確信はあるのです。
また、現状に満足することなく、今を脱出するという願いもあるわけです。
それは、極真会館に入門して、今のようになることを予知されていたかのようだったのです。
道場生として、稽古して大会に出場するより、師範としての人生は、多くの人に迷惑をかけた事であると自覚もするのです。
未熟な指導者だけに、多くの抗議を受けてきたことは紛れもない事実なのでした。
それが、六十六歳になって、会長という立場に立つと、やがて分かるようになるという事が明確に知らされてきているのです。
結果的に、極真の素晴らしさだけを、自分の意識とするようになったのです。
他団体の素晴らしい事も、参考にはせよ、決して横道に逸れるようなことは無かったのです。
予定外の人生と思うことなく、今、極真を胸当てに置いて、更なる脱出を試みようとしているのです。