2019年10月12日(八段語録3641)
人生の転機


 人生の転機は、大きく七回あったのです。
第一回目は、高校二年の時に、上京して、大都会の真ん中に立った時でした。
当然、行先は水道橋近くの講道館でした。
第二回目は、高校中退を覚悟で、家出をして、自分の道を決定した時でした。
その時の写真を見るのですが、目がギラギラと輝いていたのです。
第三回目は、いろいろな出会いがありましたが、妻の千順さんへの一目ぼれでした。
実に衝撃的な出会いであり、人生を決定づける強いインパクトがありました。
第四回目は、全国を彷徨っていた私でしたが、北海道の高木師範との出会いでした。
挫折を繰り返していただけに、じっくり極真の道を歩めたという事でもありました。
第五回目は、池袋の総本部にて、昇段審査に合格して有段者になったことでした。
荒行の数々をこなし、大山総裁の直接の指導の下での昇段でしたので感無量でした。
第六回目は、築いた基盤をすべて捨てて、家族五人で故郷に帰ったことでした。
ここから、培ってきた実力を大いに発揮するという決意に漲ったものです。
第七回目は、手塚会長から宮城県本部の師範の任命を受けて、極真の指導者に立ったのです。
すべてが、私の生涯のターニングポイントになっているのです。

このような人生の転機は、すべて天の計らいのように感じてしまいます。
すべて、今までの生活環境が急激に変化するという現象を生じさせたのでした。
結果的に、手塚グループの責任を取るようになって日本と世界を巡回しているのです。
精神的な恩恵と、物質的な恵沢を受けるようになったのです。
そして、今日というこの日も、積極的に力強く歩んでいるのです。

結果的に、このグループと私と関連している人たちへの貢献をしているのです。
もちろん、不思議なのですが、私を否定するような人は、基本的に去っていくのです。
それだけに、どんな人から否定されようが、堂々と前進するという意識に立ったのです。
そして、今も尚、自信をもって「我が道」を行くという事なのです。
当然、私から分離していく人がいるのですが、気にしている暇はないのです。

分離のための分離ではなく、多くの恵沢がその後に、私の環境に飛び込んでくるのです。
消防団では、大いなる分離をもたらしましたが、訓練としては最高でした。
天命が、徐々に私に降りてきて、大いなる未来が開けたということに気づかされるのです。
人生を味わうということにおいて、このように分析して、読み解いているのです。

これからも、人生を満喫する現象と転機が現れると思うですが、すべては天の加護の中にあるという意識で、取り組むべきものと思っているのです。