2019年10月1日(八段語録3636)
旅立ち


 学生服のままの私の姿が映っていた写真を送信してくれた友がいたのです。
人生の旅立ちらしく、凛々しく坊主頭で前を向いているのです。
大いなる衝動のような天の命令に従って、直ちに行動を起こしている姿でした。
理想を追いかけて、無条件に約束を信じて突き進む自分の姿があったのです。

この写真は、自分の目標を明確にして従って、どこに行くのか知らなくても出ていくのです。
青春を捧げる価値を見出し、独り身になって理想に向かった旅立ちでした。
何も持っていないのですが、極真を通じて自己管理という信念だけは、持っていたのです。

最初は、東京でしたが、何も分からず過ごす日々ですので、五里霧中で何度も敗北を繰り返すのです。
その度ごとに、リックに寝袋を抱えて、日本中を彷徨したのでした。
北陸四県を回り、それから東京に戻り、また北海道へと進路を変えるのです。
また、仙台には戻らず、福島を拠点として、さらに四国、九州、中国地方へと進むのです。

また、栃木の宇都宮に出没すると、また北海道へ向かうのでした。
極真がベースなのですが、多動症のようで、一か所に居座らない青春が続くのです。
本気で「決断の場所」となったのが、札幌で高木道場に草鞋を脱いだ時でした。
もちろん、札幌での修練も厳しく、自分を呪ってみたり、誇ってみたり交差する日々でした。

腰を下ろして、札幌で修練を重ねていくうちに、極真契約を再確認したのです。
その内容は、この修行は、最高の人生を保障するであろうという確信でした。
二十七歳まで、札幌にいるのですが、多動症らしく、「それから広島へと移動するのです。
この広島は妻の千順さんの故郷なのです。都合よく森周治師範にお世話になったのでした。

かといって、広島の人と仲良くするという事でもなく、修行に打ち込むのです。
それだけに、修行生活を第一にするので、天幕生活のようでした。
それから、香川に移動して、最後に東京の池袋総本部へと向かうのでした。
ここで、初めて池袋の総本部で有段者として、権威を持って道場に通う事ができるようになったというわけです。当たり前に、全日本に顔を出すようになるわけです。

結論として、順風満帆の修行時代を送ったというわけでもないのです。
小さな失敗を繰り返しながら、有段者に上り詰めたという事なのです。