2019年10月1日(八段語録3635)
親父の援助での極真契約


 私の人生と極真空手は運命的な出会いをしたのでした。
極真選手としては、決して華々しくなく、中堅の選手として覚えられていました。
出場をするが、地方大会はともかく、全日本では、二回戦か三回戦で消えていく選手でした。
しかし、手塚会長との出会いから、手塚グループの責任を取るような立場に立つのです。
そして今、少年達の武道教育への始まりと、多くの有能な人材の排出に繋がっているのです。

さて、極真の修行の過程で、全日本でファイターとして戦っているときに、杉原師範、宮城師範に出会うのです。
彼らに対しては、人生の先輩のような立場で、父親役のような指導をするのです。
また、このような時に、千順さんを妻に迎えるのです。
また、指導した中に、世界大会の軽量級で優勝する弟子も出てくるのです。

池袋の総本部での選手生活は、個人として全日本で上位の成績を上げるというよりは、厳しい修練の成果として、多くの弟子と妻を得ることができたという事なのです。
その後、どのような旅路を歩んだかというならば、大阪に移動を開始するのです。
それも、関西本部の指導をするのですが、若き青年が育ったのでした。
そこで、長男の聖義と長女の順香を出産するのです。

旅はそこで終わらず、和歌山で紀ノ國という会社を立ち上げて、運営するのです。
その地で生まれたのが、次女の文誉でした。
二年もすると、親父からの命令で仙台に帰るようにという指示が出るのです。
長男ですから、命令には逆らえず、故郷仙台に五人家族で着の身着のまま帰るのです。

親父は呼び寄せるという事で、嫡男として森家の全てを任せるという意思であったのです。
当然のことながら、親父に全面的に従順に従ったという事で、全ての財産を継承するのです。
故郷仙台での歩みは、学問と師範代を兼ね備えていくのですが、全面的に応援してくれるのです。
それは、どんな境地に陥っても、親父が守るという姿勢は変わらなかったのです。

結論として、親父の全面的な協力のもとに、極真での人生をさらに強く歩めたのです。
私を信頼して、長男として迎え、全力で極真の道を行く事を応援してくれた親父に感謝です。
それが、このグループのリーダーとして歩める原動力になっていったのでした。
確かに、東日本震災の年に、天に召されましたが、息子の私に対する信頼は絶大なものだったのです。
そして今、極真契約で、世界中の家族を目指して日々修練しているのです。