2019年9月25日(八段語録3634)
悪意のある人の道


 悪意の影響は、個人においても組織においても、起こりうるという事です。
もうすでに、ある団体を退団したのですが、大人のイジメというものを体験したのでした。
その処遇は、窓際に追いやることであり、決して立場を上位に与えないものでした。
それも、後輩を上位に上げて、影響力を低下させ、人を腐らせるような待遇としたのです。
正しい事を提言したにもかかわらず、疎外状況に入ったのでした。

第一のステップとして、
確かに、私は憤ったのであり、顔を伏せるような状況を余儀なくされたのでした。
正しい行いを行ったのですから、私の願いで、全体が改めるべきという姿勢は続いたのです。
提言した後は、新聞紙上にも不正が全国的にも問題になってきたのでした。
その結果、改めることを蔑ろにして、彼らはライオンが獲物を狙うように身を伏せたのでした。そのような状況の中で、耐え忍んだのでした。

もちろん、ボランティア活動ですから、その場で辞めればそれで済んだことなのです。
しかし、改革の気持ちは、人一倍あったので、苦しい立場でも続けた日々でした。
実に、精神的殺意のある場所に、三年も在籍したのですから、針の筵に座らされたのです。
それで、この状況で、誰もが抱くであろうという悪意を除去する姿勢を試みたのでした。

第二のステップとして、
嘘が多く出回るのです。というのも、改革に対して、いい加減にしていくという姿勢です。
何もなかったような態度で、あなたの改革案なんか関係ないと言わんばかりでした。
私もあらゆる知恵を駆使して、人と金の腐敗を追及しようとするのです。
上位の立場を利用して、表と裏の使い分けをしながら、嘘で塗りつぶす状況をつぶさに見ることができました。

第三のステップとして、
自己憐憫という事でしょう。これも組織を上下に限定するようにするわけです。
下位の人に、表現をさせないという作業をするわけです。
都合のいいように、スケジュールをこなすという事に専念するわけです。
何でもすり替えて、こそこそと自己正当かするという作業が行われていました。

第四のステップとして、
当事者を組織からの分離をさせるという方向に向かせるのです。
ここでも忍耐の一字が私の脳裏をかすめました。

第五のステップとして、
世俗的な方法で、仲間意識を作って、排除する姿勢と取るという行為を行っていました。
このようなボランティア組織での経験は、自分がそのような道を行くのか、修行を重ねて、正しい道を行くのかという選択をせざるを得ないことでした。
それで、もちろん、結論は、正しい道を選択し前向きな生き方という事に決意したのです。