2019年9月24日(八段語録3633)
輪を描いている剣


 極真空手を携えて、人生を生きるという事は「輪を描いている剣」を持っているようです。
肉体に、武具はありませんから、自らの鍛錬で自己管理をして、肉体を武器にするのです。
黒帯を許された時期は、誰にも負けないほどの強さを誇ったのでした。
そして、極真内部では、全日本に出場するのですから、光り輝く存在に見えたのでした。

池袋総本部道場では、指導をしない時には、一番後ろに位置して、全体を見渡しながら稽古です。
もちろん、指導の時には、前で稽古をするのですが、心地よい道場の空間を持ったのです。
私自身、スター街道をまっしぐらにはいかないのです。じつに地味に稽古を継続するのです。
私と同期の人は、確かに優秀でしたが、極真に残る人は少なかったのです。

熱き魂の青年達でしたから、真っすぐに極真の道を歩むというよりは、横道に逸れるのです。
多くの先輩は、歓楽街の塵を食べ、稽古は熱心に行うことなく遠ざかるのでした。
また、同僚関係で敵意を抱くようになって、道場には顔を出さなくなるのです。
総本部との確執が生まれると、道を異にするように他流派になっていく先輩も現れました。

私の場合、良き友の存在がありました。田原敬三氏との出会いでした。
総本部、北海道、広島と寄留しながら、森周治師範の道場に腰を下ろしたのです。
一緒に汗を流しながら、前年に彼が初段になり、次の年、私が段位を頂きました。
彼は、日の出の勢いで、西日本大会、ウエイト制、全日本と戦いの覇者になったのです。
最も有名になったの試合は、ウイリーと一線で世界大会で勝ったのでした。

私はというならば、腰巾着のように一緒に稽古をしながら、成績はそれほど残せないのです。
要するに、最後の踏ん張りが効かないというか、諦めが早いのです。
それでも、体格に関しては、身長も体重も私が上ですから、あまりにも気が小さかったのでしょう。
それでも、彼とは、極真の世界では、友であり、稽古のパートナーであったのでした。

確かに、彼は大会で最高の有終の美を飾ったのでした。
それでも、彼に待ち受けていたのは、本部との軋轢でした。
時を待てなかったという事もあって、他流派を名乗るようになったのです。
それに対して、私の場合、漂々としているのです。そして、二十年以上も過ぎてから、いつの間にか師範になっているのです。
今現在、どうであるかというならば、「輪を描いている剣」で、光輝いている人生のようです。まだまだ、これから続く栄光の道が待っていると確信しているのです。