2019年9月1日(八段語録3625)
一人になると、待ち受けているのは成長か堕落か


 十八歳で上京して、都心で生活するようになって、修行が始まりました。
道場に通い続けるという事は、成長になりますが、一人は誘惑が多いのです。
誓った事は、決して歓楽街に出向かないという事と、酒とタバコはやらないという事でした。
修行には性的刺激は不必要であるという意志を持つという事で、自己管理に徹するのです。
「人に勝つより自分に勝て」「好きになってはいけない恋に」という姿三四郎の歌を口ずさむ日々が続くのです。

日々は、性的刺激が強い場所は避けるし、自分が元凶になると自覚すれば、稽古と断食を繰り返すのです。
「見るな、触るな、抱きつくな」という、女性に対する警戒感を意識するのでした。
また、私自身は美男子ではないし、変人極まりないので、女性が近づいてこなかったのです。
女性からのアプローチが全くゼロという事も寂しいものですが、事実でした。
逆に、間違があるかもしれないという事で、女性には声を掛けないという作業が、日々の生活でもあったのです。
これは、当たり前にある青春の門を避けて通るという作業をしたという事になったのでした。

ところで、武道ですから、成長のバロメーターは強さという事なのです。
目指す目標があったのですから、どのように先輩達に追いつくかという事が目的でした。
日々の稽古は、ありとあらゆる時間を当てて、稽古に没頭するのです。
女性へのベクトルは、方向も距離も、点を辿るという事もしないのでした。
線に至らないので、一線を越えるというボーダーラインはなかったのでした。

誇りと言えば、全日本選手権大会で優勝するという意識だけという事でした。
池袋の総本部には、強者が集まっていましたので、弱者であるという認識だけが襲っていたのでした。
それだけに、成長という事が、自分にとって、強さとして身を固めようとしたのでした。
自分自身の心の中で、稽古を重ねることによって、成長とは、弱さから強さへと逆転現象を起こすという事でした。要するに転換なのです。

女性に近づかないという一点で、高潔さを保とうとしたのも、私の誇りになったのです。
「罪を犯さないというところに、恵沢が多くなる」という気持ちだったのです。
振り返ると、青春時代は、成長を重ねたという結論を出すのです。
女性へ近づかなかったという姿勢は、歓楽街で酒と女に溺れるという窮地から守られたという事になったのでした。