2019年8月26日(八段語録3619)
逃亡の思い出


 二十代の初め、ちょうど北海道札幌にいた頃でした。
修行が目的でも、霞を食べて生活することはできないという事で仕事に従事していました。
体力も気力も充実していたし、それなりの運営の統率力もあって、業績も上げていました。
それで、私自身の思いは、極真修行の鍛錬が目的で、営業の業績を上げる事ではないので、葛藤が生じていました。
もちろん、私自身の問題も浮き彫りになっていましたが、それ以上に会社代表者と営業関係者との悪化は、目に見えていました。

そのような時に、静岡の浜松に研修で何か月か移動させられたのでした。
そこには、全国一の実績を誇る女経営者が会社を率いていました。
私が「経営を見習うように」という配慮があったのは当然のことでした。
それで、私が従って指導を受けたかというならば、逆に指導をした結果になったのです。

富士山の麓で、人柄がよい地域性だけでの営業で、決して画期的な戦略はなかったのです。
多くのアドバイスを私からアクションを起こすのですから、手を焼いて受け入れられるはずはないのです。
半年の間、浜松で過ごすのですが、東京の本社で教育を受けるという事になったのです。
修行が目的でしたので、再び池袋の総本部に通うきっかけができたと喜んだのです。
あまりにも、営業に力が入らない私を見て、社長は「あなたは全く愚かである」と説教をされたのでした。

彼は、幹部候補生であると思ったのでしょう。
しかし、目的は修行でしたので、さらに関係悪化でした。
「私はあなたに害を与える力を持っている」と言わんばかりの社長の言動でした。
ところが東京で、半年過ごす中で、不思議に私の気持ちを容認するようになったのでした。

私の才能を発揮できる部署への配置をして、再び札幌での修行ができる状態に抜擢でした。
もちろん、私の心の中では、全く社長を信頼するという事はなかったのです。
ただ、社長と東京契約をしたという事は事実でした。
それで、札幌部署での能力の発揮と、修行が最高のマッチングをしたという事でした。

社会に出て、最初の試練があり、意地を通して、自分のミッションを決定した時でした。
人生を最大限活用して、決して祝福から外れない生き方をする意志力を持っていたのです。
それだけに、逃亡も是認するという暴挙に出たのも私の決断でした。
自己正当化していて、他人の目から見れば、わがままを通したに過ぎないという事です。