2019年8月25日(八段語録3618)
決してあきらめない


 決めたことは最後までやり抜くという姿勢は、持って生まれた天稟であります。
修行として個人として人生を歩んだ時も、一家の長としても、変わらないのです。
そうすると、時が経てば、人も環境も正しく扱ってくれるのです。
もちろん、浮き沈みもありますが、人と環境は、トータルすると平等であったのです。

それ故に、環境を問題にしたり、人を恨んだりという事を極力避けてきたのです。
それでも、人からの欺き、私の復讐心、決断して決定することは、数多くあるのです。
トータルとして、人生捨てたものではないという事で、人を恨む事は、馬鹿げている事にも気づくわけです。
多くの人から冷酷に扱われたことは、数知れないのですが、あまり気にしないのです。
人から騙されても、決して騙さないという姿勢だけは貫くのです。
また、生活と居住の為に働いたという意識も箕臼なのです。

そして、今に至って、世界中を巡回して、感じることは故郷が一番という意識に立つのです。
若かりし頃の仕事ぶりは、誰にも負けないほどの、業績を上げるのです。
私の働きぶりに関しては、誰も批判させるという事は無かったのです。
何故、「あんな奴が実績を上げるのか」という羨ましさだけを齎したことは言うまでもありません。
頑張る姿は、なるべく隠し、漂々とすることを表に出しているので、上から目線で見られるのです。それも心地よいと思うのでした。
それでも、そんなこと関係が無いというばかりに、自分のミッションに取り組むわけです。

特に顕著に表れるのが、故郷に帰ってからでした。
ある意味で、マイウエイで物事を進めていくので、誰からもバッシングは無いのです。
あったとしても、自分に帰結するという事で、黙々とミッションを進めていくのです。
指導に関しても、かつては、奉仕でしたが、師範としては実益なのです。

その実益も、現場に還元するので、誰からも文句を言われる筋合いも無いのです。
今でも、実益を追及するのですが、決して私個人の為とは思わないのです。
それだけに、共有するという意識で、所有観念が無いのです。

この姿勢は、これからも続くのです。
騙すよりはだまされる姿勢は貫くのです。
それも、どんな不利益が出ても、諦めないという姿勢は貫くのです。
どうせ、一度きりの人生ですから、諦めないままに人生を過ごす努力をするわけです。