2019年8月24日(八段語録3617)
多種多様な家族があってこそ、グループ運営


 私の家族の事というならば、波乱万丈を、そのまま生きてきたようなものです。
家族に問題はなかったかというならば、大きな問題を抱えながらの生活でした。
一つに、家庭内においては、兄弟喧嘩は常日頃で、長男に娘たちが文句を言う始末です。
それでも、時を重ねるごとに、兄は兄らしくなり、妹達の信頼を得るの至ったのです。

しかし、不思議に子供達は道場に通い、極真空手だけはやめなかったのです。
この家族で、宮城県本部の立ち上げがなされたのであり、発展の原動力だったのです。
そのような意味では、この家族を通じて、極真の世界計画が進展したという事なのです。
問題のある家族を用いて、世界に至ったという事ですから、大いなる業績なのです。

不思議な力によって、生かされ、もともと私の家族は弱者ですが、極真の発展には無くてはならなかったのです。
諸問題を抱えた家族でしたが、世界に広がる極真のベースを築いてくれたのです。
それも、私の人生で問う事でしょう。

二つに、夫婦においても、同じことが言えます。
私が一目ぼれをしたという事で、私の愛情は努力の賜物です。
しかし、妻からすれば、私が惚れたという事ではないので、当たり前という事になります。
妻からの努力というものは、私の熱き思いに比べればそれなりという事です。
それでも、家族は維持されているのです。

そう考えると、家族というものは、色々あっても公平に扱われているという事です。
長男は、娘たちに注文を付けられながら、今は、師範代をこなしているのです。
妻は、私の両親の介護の世話を精一杯してくれているのです。
何かしら、過ぎ去ってみれば、公平性を感じるのは私ばかりでしょうか。

今は、世界の家族を相手に日々戦っていますが、そのようなこともあって、傲慢になるとか、卑屈になるという事はないのです。
すべてが、身体の一部のように、巡回して公平に分配されているのです。
そこに、私は家族とグループの家族いうものの奥義を見るのです。

世界の家族においても、様々な課題はあるのです。
それでも、私の家族と、グループの家族が、切磋琢磨してお互いより良い生活をしているのです。
その結果、グループの発展があるのであれば、幸せであると思っているのです。