2019年8月20日(八段語録3614)
人をどこまで許せるか


 とかく人間関係は、意見の食い違いが多いのです。
それでも、だますよりだまされる方が良い道を選択したのです。
私の場合、二十数年の間、全国を流浪している間、両親は家に帰るのを待っていたのです。
長男が、必ず帰ってくるという信頼があったのでした。

それで、妻と三人の子供で故郷である仙台に帰るという道を歩むのです。
修行時代は、どれだけ肉体を強化して、心を広くするかという課題で戦い続けたのです。
その結果、丈夫な肉体と広い心を獲得して、極真の礎を作るという意欲に溢れたのです。
もちろん、十代で修行ですから、学問は故郷に帰ってから取り組んだのでした。

それだけに、目標があるならば、いつ何時でも取り組むことができるという実証でした。
親からの長子の権利と親からの期待によって、苦労が心地よかったのです。
不思議に、両親に期待されるという事は、精神的支えであり、物質も付いてくるのです。
故郷では、信頼されているという事が、最大のパワーになると実感されたのです。

ところで、修行時代は、信頼されるベースを現場で作るのですが、いとも簡単に壊されるのです。
組織は、家族という単位になっていないので、上部からの崩されるという憂き目を何度も味わったものです。
それだけに、長年にわたって、無駄な労苦を負わされるという事にもなったのです。
決して恨みには思っていませんが、自分の理想とはかけ離れた状態は続くのでした。

例えば、広島で指導していた時でしたが、次の師範に推挙されていた友人が、総本部から裏切られ支部を出すことができなかったのです。
結局、他流派を名乗るようになったのです。
私は、友人を正当化しようとは思いませんが、約束を反故にする総本部に怒りを覚えたものです。
とはいっても、その友人と行動を共にするという事はなかったのです。

そのような経験がありましたが、手塚会長との約束は、反故にすることはなかったのです。
それも、全世界の師範達に対してですから、素晴らしいリーダーだと思うです。
それだけに、このグループの時を待ち、このグループの方法で、このグループの計画を実行することを念頭に置いているのです。
強健な肉体と、青空のような心の広さを求められるというものです。
そのような精神的姿勢は、続けるという決意であります。