2019年8月17日(八段語録3610)
人生のクライマックスは始まったばかり


 人は、振り返るまでもなく、天地に生かされ、苦難がありながらも栄光の道を歩まされているのです。(現実はいばらだらけですが)
また、その世代で終わるのではなく、子孫が空の星、海辺の砂のように数多く増し加わるように指導されているかのようです。
また、私達の人生と同様に、子孫は、あらゆる敵の門を勝ち取ると確信しているのです。
それは、世界中のすべての国々の人達を、幸せにするための戦いをするという事です。

さて、クライマックスは、恩恵だけでなく最大の試練も伴うという事もあるのです。
そのために、天地の理法に完全に従うのであり、最高の人生として生きるという事です。
それだけに、日々の生活の中で、天地に動きに従順でありたいと願うわけです。
極真精神という武士道をを身に着けたゆえに、天地の働きかけが、星が降るように激しく落ちてくるのです。

ところで、人生を振り返るまでもなく、数えきれない訓練と失敗が繰り返されてきました。
それでも、「人生を捧げよ」といわれたかのように、故郷へ帰ってきたのでした。
かつては、若くして、それなりに地位と名誉が築かれたのであり、尊敬も受けたのでした。
それでも、かなぐり捨ててて、故郷に戻ったのは、親からの「帰れ」という一言だったのです。

私の場合、家族五人がどうなるかもわからず、新幹線に飛び乗った事が、思い出されるのです。
「故郷に帰れ」という天からのテストは、苦痛を伴うものでした。
一兵卒として、がむしゃらに肉体を酷使し、子育ての為に生活を維持し、理想を果たす戦いが始まったのです。
もう年齢や誕生の順序に関係がない、サバイバルな闘いが始まったことは言うまでもないのです。
実に、現実は地獄のようでありましたが、質的意味が重要であるという気持ちだけでした。

結果的に、故郷は、世界に向けて世界本部を建設するような意味合いが生まれたのです。
故郷でのテストの内容は二つありました。
一つは、自分自身を殺すことができるだろうかという事でした。
二つに、天が自分を追いやって、人生の恩恵をすべて奪うのだろうか。

天は、最も厳しい厳粛な誓いを私に下して、義認されることによって、今があると思うです。
それも、人生のクライマックスは継続中なのです。