2019年8月14日(八段語録3607)
墓参り


 先祖の墓参りに行きました。親父と先祖に墓前で誓うのでした。
故郷で生まれ、極真空手と出会って、日本と世界を巡回している不思議を実感するのです。
全ては、先祖の願いと導きの中にあるという気持ちで日々を歩んでおります。
親から「義道」を頂いて、義の道を邁進するように願われるのですから有難いことです。

極真に出会ったのも、「義道」を「どう生きるか」という姿勢からでした。
当時も今もですが、池袋の総本部の周りは歓楽街が広がっていました。
修行中は、酒を飲まないという事もあって、近づきもしなかったのでした。
当時から変わっていた「人付き合いの悪い」修行者であったのでした。

私が忌み嫌っていたことは、修行を怠ることでした。
また、歓楽街には、近寄ることはしないという姿勢でした。
それは、今でも貫いていることです。
かつて奉仕団体の付き合いで、歓楽街のスナックへ連れて行かれた時にはビックリでした。

そこから、このボランティア活動に疑問符を投げかけてしまったようでした。
会で金を集め、その金で飲み歩くという事程、見苦しいと思ったことは無かったのです。
結局、二十年在籍していましたが、奉仕活動に関しては快く参加しましたが、飲み会は抵抗がありました。
奉仕活動を行っても、ソドム・ゴモラのような場所での不健全な飲み会は御免でした。

仲間とは、地域での活動ではスクラムが組めましたが、本部に上がってからは、良い思い出が無いというのが現状でした。
それも、今年の三月で退団という事でしたので、胸を撫でおろしているのです。
今日墓参りに行きましたが、先祖からの答えも、私が間違っていなかったという返答のようでした。

義の道に外れた生き方は、今までしなかったし、これからも道を外さないという事を誓うのです。
理由は、光の中を歩むという意識で、栄光の輝きを消さないという姿勢です。
私自身の歩んだ武道の道を、後輩が歩むと思えば、汚点を残さず、絶えず発光していたいという事です。
もちろん、聖人の道は、悪人とは一線を画すようですが、それでも悪までも内包して善導するという事もありと思っています。
厳しい修行の道は続くのです。