2019年8月12日(八段語録3605)
段位の印


 修行を重ねて、有段者として初段を頂いたのは、昨日のようです。
黒帯が桐の箱に入って、大山総裁から頂いたことを思い出してしまいます。
認定証を頂いたのは、修行をして十年の歳月が流れた1983年3月20日でした。
当時は、極真年鑑五号が発行されていて、その黒帯メインページに私の名前が載っていたのでした。

さて、池袋の総本部で昇段審査に合格したのは、二十八歳の春でした。
黒帯には、金線が一本名前の下に刻まれていました。
いよいよ本当の修行に入ったという事で、本格的に全日本選手権大会に参戦するのです。
十年の歳月をかけて、初段を取ったという事は、暗に挫折の修行時代が長かったという事を意味していました。

それから、四十八年の歳月が流れて、九段の段位を頂くようになっているのですから、時の流れを感じてしまいます。
そして、世界に向けて認定証を出しているのですが、改名しているかのように、GIDOU MORI(義道 森)で認定しているのです。
自分でない自分という意味がアレンジされています。
あくまでも五十年に渡って修行してきた、私という名の刻銘という意味が強いのです。

その理由は、個人に繋がるという事ではなく、「修行を重ねた人」という意味があるのです。
世界中に広がっている極真会館手塚グループの父という気持ちが強いのです。
もちろん、手塚会長からの契約の継承者であるという事は言うまでもありません。
「わたしは、この契約を、わたしと道場生との間に、そして道場生の後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる」という意味に匹敵するのです。

当然、裏切っていく輩もいるという事は百も承知なのです。
手塚グループは、この段位を持って、権威としてこのグループに責任を持つ人として認定しているのです。
もちろん、段位を認定する側の私は、無条件に認定するという事なのです。
後の事は、本人の修行の姿勢によると思っているのです。

当然、認定書を出すからには、良き応答を期待しているのですが、それは未知数です。
その応答がなくても、その認定書は破棄されるものではないのです。
しかしながら、認定書を出したという事は、信頼の応答を願っているのです。
それが、黒帯の印というものです。