2019年8月8日(八段語録3602)
戦う人生


 あなたは、物質に固執しているかという問いかけに、何も持っていないという心境です。
誰かのために、必要なものは確保しますが、必要でなければ、いらないという結論です。
多くの物に執着している人を見ますが、大概の人に悲劇が付き纏いうようです。
まして、金融危機、不況は付き物で、齎す恩恵は少ないと思っているのです。
武田信玄の言葉にもありますが、「人は石垣人は城」なのです。

人との盟約を大切にするのです。
手塚グループの指導者との絆は、しっかりしていると思っています。
もちろん、完全ではありませんが、お互いに譲り合って生かし合うという事です。
このグループは家族ですから、血の契約が流れているのです。

そのような家族契約があるのは、このグループの特記事項であると思っています。
もちろん、その中心に契約の有効性を発揮させるために、私が存在しているのです。
要するに、誰も裏切ることのない組織づくりに奔走する「神主の型」として存在するのです。
現場に調整は大変な事ですが、現場の指導者に大人として対応できるように指導するのです。

そのために、現場の姿勢と声を受肉する必要があるので、胸襟を開いて受け入れるのです。
英雄などという、かっこよい姿ではなく、受難のしもべであるのです。
ここに集まる指導者の弱さに同情できなければ、現場の指導者は「押忍」と言って追随しないのです。
反逆という罪を犯させないためにも、試練は私が受けるという姿勢は貫くという事です。

現場の指導者が直面している試練は、かつて私が受けてきた試練なのです。
多くの苦情を受け、また恵みも抱いて、大胆に前進するという事です。
そのような、闘いをする人生が、私の人生になっています。
決して、会長であるから偉い立場ではなく、忍耐と愛情を武器にして戦いに臨むのです。

このグループの内部が忍耐と愛情の戦場であり、外に向かっては更なる戦いの連続になります。
どんなことがあっても、現場の指導者の最善を願うという意識は変わらないのです。
当然、戦略で外部に関して思わしくないという事もあるでしょう。
しかし、内部は結束するのです。

ここが、手塚グループの家族としての血の契約が流れているゆえんです。
更なる結束がある限り、人生戦う事に関して疲れは忘れることができるのです。