2019年8月7日(八段語録3600)
源流から


 大河に至る源流のような歩みをしているという気がします。
雨が、大いなる山々の隅々から集められ、一か所の起点が作られるようになるのです。
極真空手は、そのようにして契約された団体であるという気がしたのです。
何もなかったところに、未来永劫に輝く栄光の光の輪が出発したという事だと思っているのです。

その為に、私自身何をしてきたかという事ですが、自信を持って言えることは、世の全てを投げ打って、取り組んだという事でした。
要するに、粗大ごみで分別するように、この道に関係のない事に関しては関心も示さないという姿勢を貫いたのでした。
その分別する中に、酒とタバコも嗜好しないという事でした。
また、人に勝つより自分に勝てという意識が強く、道を逸れないために努力を重ねたのでした
決して、世俗に染まらないという強い意志が働いたという事でもあったのです。

このようにしてまで、極真空手を出発する動機が高まっていたのは実に不思議な事でした。
それも、十代の若き青年にすぎない時に、大いなる人生の決断を下したのでした。
この道は、「夜空の星座のように広がって輝くはずである」という信念が見え隠れしたのです。
極真空手は実践空手でしたので、日々意識して稽古に励んだという事でした。

常に、極真空手が生活の一部でしたので、四肢五体のように心身の一部になっていたのです。
ようするに、極真空手という友が傍にいるに等しい関係だったのです。
もちろん、仲間の道場生もいましたが、その狂信的な姿勢は、仲間までも跳ねのけるようでした。

いつしか、源流の小さな遅々たる流れが、師弟関係を形成するようになり、手塚グループを世界に跳躍させるに至ったのです。
開拓の労苦をいとわずに,手塚会長と日本から飛び出して世界を巡回するに至ったのです。
栄光の原点が紛れもなく、源流として流れ、いずれは大河を形成して大海に注ぎ込むというロマンが広がるのです。
手塚グループは実に祝福された団体という確信は、今でも狂信的に信念になっているのです。
それだけに、決して汚れの無い歩みをしようとする心構えだけが前面に出るのです。