2019年8月2日(八段語録3597)
統一と紛争


 極真会館手塚グループは、世界に広がりを見せています。
今年も世界の様子を体感してまいりました。
今回の世界巡回で、発展して広がるという、更なる確信をすることになりました。
手塚会長が世界に種を蒔いたことによって、芽が出て苗になっているという事です。
それだけに、流れという系図が生まれてくるという事は言うまでもありません。

もちろん、このグループでも主流もあれば、枝葉もあることになるのです。
このグループの精神を真似して頂くことは、何の差し支えは無いのです。
それは、大きな意味での一体性を示しているのです。
コピーであり、それなりの対立は生まれるので、一緒に行動を共にすることも無いのです。

このような私達のグループの出現の出来事は、人類が抱える問題でもあるのです。
現状は、主流である私達が世界に版図を持って配置されてきているのです。
どのような関係があろうとも、最終的に手塚会長との関係なのです。
私が実感することは、主流派として世界に相続地を持たされ、振り当てられて、私達の力量に従って統治するというものです。

それも、私達の姿勢は、紛争や対立ではなく、一体性という事で、教えられてきたのです。
それだけに、主流は苦労を余儀なくされるのです。
だからといって、主流の私達には、ニムロデのような権力者にはならないのです。
お互いに支え合う友人として必要性を感じ、全体として統一性を維持するのです。

指導者とは、権力者ではなく、現場を陰ながら支えていく人という事です。
紛争や反逆の多くの諸問題は、中心者への不信なのです。
その結果、対立が生まれるという事になります。
それだけに、現場との仲介者になるという事が、指導者の要件になってくるのです。

私の姿勢は、一環として現場との和解であり、家族理念で行くのです。
家族という概念であれば、少々のいざこざも、我慢できるというものです。