2019年8月1日(八段語録3596)
失敗は常に付きもの (それでも家族は纏まった)


 極真を究めて、会長になったとしても、高段者になったとしても、失敗の連続です。
それだけに、常に謙虚に反省して、日々の点検を忘れないようにという事です。
極真の門を叩き、白帯から始めた遠い道のりが、今に至っているのです。
たとえ失敗が数えきれなくても選手時代も、指導者時代も、輝かしい印が示されてきました。
実に、バラ色ならぬ虹の出現のような感想を抱いたものです。

それも、自分の意志で極真を選択し、入門誓約書を書いて、月謝を払って修行の契約をした自負心です。
失敗の修行の過程で、私は何を学んだかという事です。
振り返ることでもなく、敗北でした。
それでもめげずに、前進してきたという事実だけが残っているのです。

私は、極真空手修行をメインに生活の組み立てをしたのです。
確かに仕事が疎かになるほどに、熱中して練習に励んだのです。
そんな姿勢と裏腹に、人生の失敗は数えきれないほど、勃発したのは言うまでもないのです。
失敗の実例は、いちいち上げようとは思いませんが、稽古をして、理想を追っている私とは別人のようでした。

それでも、人生設計に対しても、突拍子もない事を平気で行うのです。
それに対して、妻は驚いたというよりは、考えられないという表情でした。
もちろん、夫を認めていることは間違いないのですが、否定的な目で見ているのでした。
子供達はというならば、年齢が幼かったこともあって、道場に私と一緒に通うという事で、なんとなく私の味方になっていたようでした。

要するに、考えられない行動をしている夫は、不信の対象でしかなかったのです。
それでも、最後まで、妻が忍耐したという事で、家族が維持されたのでした。
実にありがたい事でした。
そして、今の時点は、息子が私の後継者になって日々稽古に励んでいるのです。
私の後継が、息子に至ったという事は、予想外の事でしたが、感謝に堪えないのです。

そのような、安定性に欠けたバランスの悪い人生を、推し進めてきたのですが、家族の信頼を得たという事です。
多くの失敗に目をつぶってくれた妻がいたから、歩めた人生でもあるのです。
これからも、多くの失敗を繰り返すに違いないのです。
それだけに、くじけることなく、前進していきたいという事です。