2019年7月30日(八段語録3594)
正しい人


 正しい人とは、どんな試練にあっても、無垢な状態を意味するように思うです。
もちろん、極真で肉体を鍛えるわけですから、外面的状態をも指すわけです。
内面においては、義なる精神を維持するという言う事にもなります。
青春時代から求めていたものは、稽古を通じて極真での居場所を築くことでした。

最初は、選手として活躍していましたが、そのうちに道場の指導者を目指すようになったのです。
実に、私にとって、良き環境であり、義を求めるには相応しかったのです。
それだけに、極真を相続する者になるように心がけたものです。
空手の稽古もせずに、世俗に染まると、自分の人生がダメになるのではないかという強烈な強迫概念にかられたものです。

要するに、洪水審判を避けるように、箱舟という極真が安息の境地であったわけです。
結局、人生の大部分を私は、極真空手で覆ったという事になるのです。
それだけに、人生を悩んでいる多くの人を、助けるという役割になったのかもしれません。
そのような役割を人生の後半で行ってきたという事にもなります。

確かに、大山総裁は、極真を世界に広げた創始者であります。
その土台で、家族を中心として手塚会長が世界を巡回してきました。
さらに、私はその考えを踏襲して、多くの人に希望を与える活動を行ってきたのです。
極真をベースにした人生を歩むという事は、光の中を歩むような実感をするのです。

とかく世間には、多くの職業があります。
私の場合が、人生の空手修行が職業になったという事なのです。
そして、極真空手を発射台にして、飛び立つロケットのようなのです。
今も、正しい人という事から外れまいとしています。

極真空手は、私の青春そのものです。
また、極真会館は生まれたばかりで、伝統はこれから立てるという事でした。
それだけに、私の一歩が極真の歴史という自覚になったのです。

たとえ、人生の年輪を重ねようが、正しい人としての道を究めることに全力を尽くしたいという事です。
今日も猛暑日ですが、気持ちは正しい人なる極真という箱舟があることに心から感謝しているのです。