2019年7月29日(八段語録3593)
人生の流れ


 日本において、戦前までは系図がしっかり分かるようになっていました。
ところが、戦後になると都会を中心として人口の移動が多くなり不明になってきたのです。
私の場合は、仙台という田舎なので、父方と母方の流れが克明に記入されているのです。
その為に、私の生まれた経緯が良く理解することができるのです。
どのような血筋で、どのような生き様を先祖が行ってきたという事も調べがつくのです。

そこから、極真空手に出会わなければならないという宿命のようなものまで感じるのです。
また、DNAとして、どのような内容が組み込まれているかという事も、察しがつくわけです。
何故、多くの人と調和するという事を意識するのか。
何故、一途な意識をもって物事に対応するのか。
何故が先祖の歴史を紐解くことによって理解できるというものです。

そして、私自身人生の集大成の時期を迎える年齢になっているのです。
それだけに、先祖の遺伝子ともいえるDNAが、私の体内を縦横無尽に活動し始めているわけです。
世界的な立場で対応していると、先祖のDNAが私の体内を渦巻いているようです。
もちろん、先祖が大事業に挑んだという事ではないにせよ、あるいは英雄であったという事ではなくても、私の立ち振る舞い方が先祖の誰かに似ているのであろうという意識にはなるのです。

そして、新しい時代を引き継いている者のとして、主体的な人生観をもって歩んでいる自分があるのです。
別に特別な事業をしているのではないのですが、強いて言えば、極真と共にあるという事業を行っているのです。
その感性は、先祖が行ってきたことを継承し、今を生きている実感をするのです。

先祖を辿ることを通じても、また自分の人生を振り返っても、極真を続けてきたという事を誇りに思うと同時に、大事業を行っているという意識になるのです。