2019年7月29日(八段語録3592)
稽古は光の輝き
何故厳しい稽古をするのかという一つの答えは、自らを光輝かせるという事です。
日々の稽古での努力なくして、自らの心との問答を強く保てないのです。
空手で強くなるという適用は確かに三十代までありましたが、肉体の衰えは隠せません。
だからといって、修行を止めるならば、それだけのことです。
稽古を通じて私達が回復しようとしているのは、光り輝く個性なのです。
自問自答しながら、新たなる光の中で、一生を生きるという切り口を持とうとするのです。
それだけに、道は色々あるでしょうが、極真の道は、自分自身を成長させ回復する道なのです。
それを、この手塚グループの道場は準備しなければ、ならないと思っているのです。
ところで、人生を振り替えると決断しなければならない時があります。
要するに、頭として自ら決断するという事なのです。
それが、往々にして間違った決断をすることが多いのです。
結果は間違いなく、自分に振り返ってくるのです。
多くの人の中には、呪われたように「いばらとあざみ」を歩く人生の人がいます。
そのような人が、人を恨んで生きたとしても、これまた自分に跳ね返ってくるだけです。
労働だけでの苦痛で、家に帰ってからは酒を飲んで紛らさすという人も出てきます。
そうなると、家族も環境もうめくような状態が続くというものです。
何か、自分の人生という位置が、追放されたかのように惨めさだけを感じるのです。
そんな状態を克服するのが、「輪を描いて回る剣」なのです。
生命に至る精神修行という光なのです。
それを、見出すという作業が日々の稽古であることは間違いないのです。
それだけに、極真空手は厳しい修行であるからという事で、遠ざけられることがあるのです。
実は、その修行が生命の道に至るという事を知らされていないのです。
一見、閉ざされているようですが、実は開けてみれば、光り輝くという事です。
その極真空手を人生に適用しているのが、この手塚グループなのです。
選手としてド派手に輝くという事は無かったにせよ、稽古は光を与えてくれるのです。
それも、今も光の中を歩めるのです。