2019年7月28日(八段語録3591)
助け手


 人生の完成期というのが、高齢者の年齢に当たるのでしょう。
それだけに、未完成の青春の時期の事も思いだされるのです。
大きな節目が、当然のことながら、以前にあったのでした。
それは、結婚という事だったのです。
十年の間、プラトニックに付き合ってからの相手だっただけに、感無量でした。

一人で頑張った青年期は、未完成であり、満たされていない状態であったと振り返るのです。
助け手のいない私は、どんなに完全燃焼しても、排気ガスが多いのです。
長い恋愛期間が、助け手の価値を高めていったようにも思うのです。
決して、支配関係や上下関係で成り立ったのではなく、不思議な愛情関係で満たされたのでした。

どれだけお互いが会話をしたことか、思い出は「宝の山」なのです。
私と助け手との間に結ばれた契約は、それぞれ父母を離れて結び合い、一体になってきたとう事です。
つまり、精神的に独立して、お互いを尊重し続けて守ってきた状態であったのです。
それも、お互いに対して、隠したり、恥じたりする必要がなかったのです。
個人的には、理想的男女関係であると思うのです。

夫婦になるという事は、人として聖さを決定するようなものです。
お互いを尊重するという作業は、人格を磨かざるを得ないのです。
未熟な存在が、家族を守るという意識になると精神は高められるのです。
それも、他人に頼ることなく、夫婦で解決していくのですから、精神的生命力の高まりを得るというものです。

有難いことに、私も助け手も元気なのです。
それも、家族を営むという事に熱心なのです。
子供や孫の事を巡らし、理想とは言えなくても、大切にしているのです。
出会ってから四十年を超えて、さらにお互いを求めようとしているのです。

これから先、どれだけ健康でいることができるかわからないのですが、幸せを噛みしめるだけです。
現実的課題は、家族には付き物です。
そのハードルを乗り越えるためにも、助け手は必要なのです。