2019年7月26日(八段語録3588)
二つの道パート2


 極真の私達の歩みは、神話的でもなく伝承でもなく現実的事実として歩んでいます。
始まりは小さかったのですが、時間と共に社会に浸透しているのです。
それも、手塚グループとして武道精神の追及であり、世の中でも光の中を歩もうとするのです。
そして、今まで私達が歩んできた手塚グループは、何を訴えているかというと光なのです。

安易な道は、暗く広いのですが、極真の道は狭く明るいのです。
そして、誰もが修行の途中で何を選択するのかという事が迫られるのです。
私は狭い道を選択してきたという事を胸を張って言えるのです。
誰にも二つの道の存在を確認し、厳しい選択をするようにと指示をだすのです。

もちろん、広い道を選択しても極真の道から去ることができないのです。
何故ならば、極真で光り輝く時間をあまりにも多く体験したのです。
それでも、様々な理由で極真を遠のくならば、遠くに夢を置く以外にないのです。
世の中では、自分の力を誇示しようとするのですが、周りに飲まれてしまうという現実にもなるのです。

ところで、地理的側面を考えても、ヨーロッパ、ロシア、北米の手塚グループの拠点は大都会よりも田舎が多いのです。
日本においても、人との繋がりが濃密な地域が発展しているのです。
また、家族を大切にする人達が集まってくるのです。
それだけに、狭い道のように思うですが、草のように野の花のように咲くのです。
また、極真の稽古を継続する中で、精神的な覚醒が生まれるのです。
そして、私達の努力は、狭い極真の道を幅広く顕在化させようとしているのです。

結論として、多くの人に、狭い極真の道から入りなさいと声を高く発しているのです。
滅びに至り道は広く、そこから入っていく人が多いのです。
生命に至る道は、狭い極真空手のようです。
そして、それを見出した人は、光を見るに違いなという事を確信するのです。