2019年7月18日(八段語録3584)
家系


 我が家系は、江戸時代まで遡ると、伊達藩に仕える武士であります。
そこで、剣術を磨いたことは、察しが付くというものです。
私の記憶を追ってみても、祖父は剣道六段の腕前で、学校の先生をしていました。
また、親父はというならば、家に不幸があって、早くから仕事をしなければならなかったのでした。
それだけに、筋肉質の素晴らしい肉体でありましたが、太平住宅の営業という事でした。

私はというならば、小さい時から柔道を学び、志を立てて極真空手の道を邁進したのです。
そして、一人息子は、紆余曲折しながら、極真の道を選択して、師範代として道場生の指導をしているのです。
何かは分かりませんが、こうして武道の道の家系が続いているのです。
もちろん、調べれば家系の経緯が分かるのでしょうが、今まで続いている家系というだけで、有難く思っているのです。
トルドットは続くという事でしょう。
それも、息子から三人の子供が生まれているのですから、さらに続くという事です。

ところで、家系を知らないという事は、一種の記憶喪失状態のように思えるのです。
もちろん、歴史ですから、人生を豊かにするという事にもつながるのです。
当然、自分の物語を熟知するという事は、人生に意味と方向性を見出すという事です。
そして、今を豊かに生きる為の力になるというものです。

もちろん、ブログを挙げつつけていますから、再記述という事はいがめないのです。
それでも、今にして深く思うですから、大切な事だと思っています。
無価値であるという自己認識と、崇高な存在であるという自己認識のバランスが心を去来しているのです。
その中で、成長して、家族をもって社会で生き、家を管理してきているのです。
これは、家系を受け継ぐものとして、契約のように感じているのです。

特に思う事は、人としての聖さを確定してくれたのが、私の妻なのです。
過ちを諫めてくれるのも妻の意見であり、助け手であることは間違いないのです。
それも、妻との調和の精神が、多くの人との絆になっているのです。