2019年7月18日(八段語録3583)
私には価値がある


 人が躁鬱の時も、貧しいときも、病気の時も、年齢が老いても、「価値がある」という事が出来るのかと自問します。
結論として、価値があると決定を下します。
そのような姿勢で、人生を送ろうと決意しているからです。

というのも、人間の価値がどこから来ているかという事に直結するのです。
実に、人間は言葉を話すのです。
また、顔には表情があるのです。それだけに、恥を感じることもできるのです。
それだけでなく、自然界を支配することもできるのです。

さて、そのような人間は、知性と感情と意欲性を持って生きていく事ができるのです。
このような段階の人間は、価値がないとは言えないのです。
それだけに、どのようにも生きてい行けるというものです。
ゆえに、どんな状態に置かれても、人間は価値があるという事ができるのです。

動物の中で、そのような存在は、人間だけなのです。
私の人生を振り返って、人と比較すれば、優劣がついてしまう事が多いのです。
その事を感じながら、人を尊敬するという道を選択してきました。
それだけに、どんな人に対しても同じ高さの目線でお付き合いしてきました。

家族を持っても、妻に対しても、子供達に対しても、尊敬する目線を忘れないようにしてきたのでした。
結果、調和を重んじたことになったのです。
今でも、その姿勢は変わらないのです。
その姿勢が、家族に対して明るく光になっているです。

もちろん、光るものは太陽であったり、月であったり、夜空に光る星座だったりします。
私も人生において、輝く光でありたいという思いから、最高に輝く立場はどうであるかという事を検討してきたのです。
そうすると、全ての人を尊敬するという事が、私が光輝くことであると思えるようになっているのです。
一般的に光の印として、多くの人の航路になったりもします。また栄光を示すことにもなります。
さらに、家族の絆として永遠に続くという事にもなると思っているのです。
人間性を正しく理解することによって、生きる方向が決定していくように思うのです。