2019年7月18日(八段語録3582)
光ある道を歩め


 影のある人生は、あまりにも生き様をマイナスにしてしまいます。
それだけに、「人生に光あれ」と命令するような気持ちになります。
「光あれ」という事は、太陽に光ではなく、「人生を栄光に導く」という意味合いです。
人生への私達の宣告は、光と闇とが区別されるならば、「暗闇に輝く栄光を求めよ」という事です。

自信をもって、「光あれ」という事は、それなりに権威をもって発するという事を意味します。
そうでなければ、人生を後悔してしまいかねないのです。
もちろん、闇は光と区別されますし、海の塩水とガス状の蒸気とにも分けられるというものです。
さらに、天といっても、大空と、星座のある宇宙と、あの世のような天であるように区別されます。

それだけに、どのように区別されようとも、栄光の道を行くという事は必要な事です。
それが、「光ある道」という事になるというものです。
「光ある道」は、満足する道であり、よかったと思える道だと結論付けています。
人生の目的は、「光ある道」を歩むという事だと私は思っているのです。

要するに、自分が救われるという概念ではなく、栄光の道を歩み続けるという事なのです。
家族というベースは、間違いなく光「ある道」であると確信しているのです。
極真での修行の道は、栄光を勝ち取るというものです。
そこに、焦点を当てて、人生を歩まなければ、何の満足も得ることができないというものです。
別に、人と比較するという事は、必要がない事です。