2019年6月28日(八段語録3576)
故郷に帰ってきたことによる恵沢


 故郷に帰ろうとした時に、両親からの帰れコールが毎日のように掛かってきました。
その時に私は、選手生活を終えて、新たな指導者としての拘束期間でもありました。
六十歳半ばの父が私にしようとした行為は、財産の継承と分配でした。
それだけに、家督として次の代を受け継いでほしいという願いが真実であると思ったのでした。

当然、あらゆる機会で、親戚が集まる中で、両親は私の妻を褒めたたえて、振れ回るのです。
実際、親父の介護を最後まで対応していました。さらに今現在母の介護をしているのです。
私はと言うならば、肉体は鍛えていましたから、大学院で学問を追及して税務会計を専門に学んだのでした。
要するに、世の中の仕組みを経済的観点から降り下げてみようとしたのでした。

親父が八十歳に至ろうとするときに、三人の息子に家の現金を平等に分配したのです。
それと、長男の私に家の不動産は継承するという事を語るようになったのです。
資産といっても、田畑と実家と下宿棟という事でした。
三男に対して、末っ子は可愛いのでしょう、彼の近くにある貸家を惜しみなく与えたのでした。
当然、次男に対しても、国債の債権や愛情の限りを私にゆだねていました。

私の役割は、三兄弟として繁栄の道を模索することでした。
それだけに、年に二回、両親を交えて親睦会を欠かさず行ってきたのです。
もうそれは、三十年近くに及んでいるのです。
さらに弟達は、しっかりとした家を構えて暮らしているのです。
両親には、長男の私をしっかり育てたという自負心が合ったのだと思うようになっています。

人生を振り返って、裁きと恩恵が襲い掛かってきました。
「剣、飢饉、疫病」のような試練が来るわけです。
さらに、「怒り、憤り、激怒」の波が押し寄せるのでした。
それでも、「故郷に帰らせられ、兄弟を集めさせられ、住まわせられ」ているのです。

すべては、わが家族の復興にあるといっても過言ではないのです。