2019年6月27日(八段語録3571)
地域に根ざすことは天命


 もうすでに、故郷にUタウンしてから、二十八年の歳月が流れようとしています。
大志を抱いた十代では、故郷に帰るという事は、敗北であり決して故郷に錦を飾れないと思い込んでいました。
故郷に帰ろうと決意した理由は、天の配慮が多かったのですが、現実には両親の「帰れコール」に家督としての役割に、沿った形が望ましいと思ったのでした。
帰って、家を継いで将来に希望と夢を与えるのが役割であると確信したからでした。

実に故郷に帰ったことが、その後の人生に対して転機になったことは間違いないのです。
この方向転換は、家督としての責任が生まれ、新しい段階へのスタートになったのでした。
それ故に、地域のために最大限尽くしていくという姿勢を貫くことを決意したのです。
保護司活動を原点にして、国の仕事、県の仕事、市の仕事のボランティア活動に尽力したのでした。
故郷で、日常的な生活を勤勉に続けることが求めららたことは言うまでもありません。

そこで、家を建てて住み、妻と息子・娘と地域の繁栄のために役に立つようにしたのです。
実に、地域に根ざして、平安な生活を求め、将来に希望を与える者にしようとしたのです。
その期間が三十年という長きに渡って、定着の道を進んでいったのです。
もちろん、極真精神は貫き続けました。稽古もしっかり日々取り組んでのです。

ところが、極真精神で、人格の成長を助長してきたのですが、手塚会長との出会いは、日本と世界に関心を持たざるを得なくなったのでした。
故郷が原点となって、世界進出という事なのです。
手塚会長から私へと、世代を超えた戦いが始まったという事になったのでした。
手塚会長から流れ出る、極真の教えに対する真剣な取り組みが始まったのでした。

当然、世代を超えて、手塚グループを導いていかなければならないのですから、二代、三代と受け継がれていかなければならないのです。
期待と希望の背後には、苦難と苦痛が伴うという事は言うまでもありません。
人生に対して過ちに恐れを抱きながら、前進するという事が必要であると思うのでした。